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江守 一郎(えもり いちろう、1924年 - 1996年12月30日〔交通事故鑑定人 環倫一郎 第一巻 203-205ページ Jコミ 〕)は日本の技術者、工学者。交通工学・模型実験などの研究を行っていた。東京都出身。模型実験、交通事故鑑定人の第一人者とされる〔本田 p171〕〔江守一郎 〕。 監修・参考資料提供を務めた漫画「交通事故鑑定人 環倫一郎」の主人公である環倫一郎のモデルとなっており、作品で取り上げた事件は江守が解決した事件である〔。 == 経歴 == 1949年に東京大学工学部機械工学科を卒業後、ミシガン大学に留学〔本田 p171〕。無一文であったため肉体労働をしながら大学に通い、1952年にミシガン大学機械工学科、理論工学科を修了する〔江守 p208-209〕。 しかし留学した3年間というブランクがあったため社会から相手にされずブラジルの永住許可を取り日本を離れる〔江守 p210-211〕。しかしミシガン大学で助教授をしていた友人にゼネラルモータース(以下GM)中央研究所の見学に誘われ参加〔江守 211p〕。そのとき紹介された開発部長に遊星歯車の研究をしていたことから興味を持たれGMへの就職を勧められる〔。 人事課が永住ビザの取得を移民局と交渉し、ビザを取得そのことに恩義を感じGMに就職し〔江守 p211-212〕、オートマチックトランスミッションやトルクコンバーターの開発に携わる〔。 1961年にGMはアポロ計画に参加、江守は月面の土質を測定する機械の設計に参加する〔江守 p217〕。 トヨタ自動車工業技術顧問、IBMシステム開発部信頼性管理主任技師を経てカリフォルニア大学ロサンゼルス校工学部の助教授に就任。自動車事故、交通安全研究を進める。 日本に帰国し1972年から成蹊大学工学部の教授に就任、交通事故鑑定を導入する。教え子としては斎藤孝三(ケンタッキー大学工学部教授・工学技術研究所所長)〔〕などがいる。1989年に成蹊大学名誉教授となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「江守一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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