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江川三郎八 : ミニ英和和英辞書
江川三郎八[えがわ さぶろうはち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう, え, ごう]
 【名詞】 1. inlet 2. bay 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [み]
  1. (num) three 
: [やつ]
 (num) eight

江川三郎八 : ウィキペディア日本語版
江川三郎八[えがわ さぶろうはち]
江川 三郎八(えがわ さぶろうはち、1860年 - 1939年)は、日本の建築技師。岡山県庁在勤当時、国重要文化財の旧遷喬尋常小学校校舎真庭市)や閑谷学校資料館備前市)などを手がけた。“江川式建築”とされる木造大型施設は高く評価され、国重要文化財として保管されている施設も多い。
== 略歴 ==
福島県会津若松の出身〔江川三郎八:建築の天才知って 浅口で企画展 /岡山 2011年08月26日 毎日新聞 地方版/岡山 25頁 写図有 (全428字)〕〔江川三郎八と岡山県の江川建築 小西 伸彦 吉備国際大学研究紀要(人文・社会科学系)第24号,79−91,2014年〕、会津藩士江川宗之進廣伴の三男。宮大工の修行をしたのちに〔閑谷学校資料館の館内掲示内容による〕、1887年(明治20年)福島県の建築技師となり、橋梁工事を担当〔。その後1887年に山口半六〔、1898年に妻木頼黄の指導を受ける〔。1901(明治34)年には久留正道から学校建築の指導を受けた〔。福島県で15年勤務したのちに1902年より岡山県に転任した。当時岡山県庁内の唯一の建築技師であったので〔、県議会議事堂や都窪郡役所(倉敷町)、総社警察署(現・総社市まちかど郷土館)などの数多くの公共施設の設計や工事監督を担った〔。岡山県下の教育施設や医療施設の建築にも携わった〔〔。64歳で県職員を依願退職後は〔、金光教団本部の嘱託技師となり〔、火災で消失した本部の再建に尽力した。また天満屋旧本館などの商業施設や個人住宅の設計も行ったとされる〔〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「江川三郎八」の詳細全文を読む




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