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江州音頭 : ミニ英和和英辞書
江州音頭[ごうしゅうおんど]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう, え, ごう]
 【名詞】 1. inlet 2. bay 
: [す, しゅう]
 (n) sandbank
: [おと, ね]
  1. (n,n-suf) sound 2. note 
音頭 : [おんどう, おんど]
 【名詞】 1. workmen's songs 2. marching songs 
: [あたま, とう]
 【名詞】 1. counter for large animals 

江州音頭 : ウィキペディア日本語版
江州音頭[ごうしゅうおんど]

江州音頭(ごうしゅうおんど)は滋賀県を中心に近畿地方各地で盆踊りに用いられる音頭。棚音頭と座敷音頭(敷座)の2種類がある〔「座敷音頭」に想う! 、村井市郎、江州音頭だより(第26号)、滋賀県江州音頭普及会、2002年9月13日記事掲載、2012年10月15日閲覧。〕。独立した舞台芸としても行われる(こちらは「口説き(クドキ)」と呼ばれる)。「江州」とは、近江国の別称である。
== 沿革と概要 ==
仏教御経の節である声明を源流とし、山伏らによる民間布教手段として派生した祭文が一部で娯楽化し、次第に宗教色を薄めて遊芸としての祭文語りが独立した。浄瑠璃に近い説経節や、浪花節を生んだ浮かれ節などより下卑たものとされ、語りの合間に法螺貝を拡声器として用いて、一同で「♪ デロレン、デロレン」という合いの手を入れることから、デロレン祭文と総称された。
同様の成立過程を辿ったものには、願人坊主が事とした「阿呆陀羅経」や、「チョンガレ」(チョボクレ)、「春駒節」、「ほめら」などと呼ばれた諸芸(これらの一部は明らかに春歌に属する)などがあったが、テレビが普及した高度経済成長期を最後に継承者は絶えている〔小沢昭一『日本の放浪芸』より〕。
江戸時代末期、武蔵国のデロレン祭文の名人万宝院桜川雛山の弟子の西沢寅吉が、歌念仏念仏踊りを祭文に採り入れた独特の節回しを考案し、話芸を踊りと融合させた新たな音頭を作り上げた。これは祭文音頭と言われ、当初は近江国神崎郡八日市(現在の滋賀県東近江市)で踊られた。更に、寅吉と親交のあった奥村久衛左門(初代真鍮家好文)の協力で演目などを整備し、明治初年に近江国愛知郡枝村(現在の犬上郡豊郷町)の千樹寺で踊りを披露したのが、江州音頭の始まりとされる。その後次第に滋賀県内各地に広まっていった。
寅吉は祭文語りの芸名を桜川歌寅と名乗っていたが、師匠桜川雛山の許しを受けて初代桜川大龍に改名して宗家となった。明治末に大龍の門弟らは大阪千日前界隈の寄席にこぞって進出し、落語音曲と並んで人気の演目となった。
また、大阪府三島郡味舌村(現在の摂津市)の音頭取り出身の漫才師砂川捨丸や、従来の三河萬歳を修めた中河内の江州音頭取りの玉子屋圓辰の大成功を追って一部は漫才浪曲などの舞台芸に転じ、今日の演芸の源流のひとつにもなった。古い(明治30年代~昭和40年代)漫才の名跡である『砂川』、『桜川』、『荒川』、『河内家』、『菅原家』といった苗字は江州音頭取りから派生し、『松鶴家』は歌舞伎俳優から俄に転じた者が多かったところから派生した。
近江商人兼業の音頭取り達が東海道京街道伊賀街道など商用で訪れた各地の人々に余暇として江州音頭を伝えたことが基となり、各地で独自の改良を加えられ重なり大阪の江州音頭が生まれ、河内音頭の成立にも多大な影響を及ぼした。
明治中期から後期にかけて江州音頭が河内音頭と並んで興行として演じられるようになってからは、浪曲や、江戸中期以来大坂で盛んに演じられ人気を博した即興喜劇である(にわか)などの諸芸と融合し、近江とは別のスタイルで大阪でも独自の発展・変革を遂げた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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