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江悦之(江悅之、こう えつし、445年頃 - 505年頃)は、中国の南北朝時代の軍人。字は彦和。本貫は済陽郡考城県。 == 経歴 == 江範之の子として生まれた。幼いころに父が劉裕に処刑されたため、孤児となった。南朝宋に仕えて、諸王の参軍を歴任した。南朝斉の初年、荊州征西府中兵参軍となり、台軍主を兼ねた。屯騎校尉に転じ、後軍将軍の位を受けた。漢中に派遣され、輔国将軍となった。南朝梁の初年、劉季連が蜀で反乱を起こすと、悦之は軍を率いて反乱を鎮圧し、功績により冠軍将軍に進んだ。武興氐が白馬を落とし、南鄭を攻撃すると、悦之は軍を率いて防戦し、氐軍を撃破して、白馬を奪回した。 504年(天監3年)、梁の秦梁二州刺史の荘丘黒が死去すると、悦之は夏侯道遷や龐樹・李忻栄・張元亮・士孫天与らとともに北魏に帰順した。505年(正始2年)、梁の華陽郡太守の尹天宝の攻撃を受けて敗れ、南鄭を包囲された。悦之は家財を散じて部下に分け与え、昼夜なく督戦した。武興軍の援軍をえて、尹天宝を撃退することができた。夏侯道遷とともに洛陽に到着し、まもなく死去した。享年は61。輔国将軍・梁州刺史の位を追贈され、安平県開国子に追封された。諡は荘といった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「江悦之」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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