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江戸っ子オヤジ : ミニ英和和英辞書
江戸っ子オヤジ[えどっこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう, え, ごう]
 【名詞】 1. inlet 2. bay 
江戸 : [えど]
 【名詞】 1. old name of Tokyo 
江戸っ子 : [えどっこ]
 【名詞】 1. true Tokyoite 
: [と]
 【名詞】 1. door (Japanese-style) 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

江戸っ子オヤジ ( リダイレクト:天才・たけしの元気が出るテレビ!! ) : ウィキペディア日本語版
天才・たけしの元気が出るテレビ!![てんさい たけしのげんきがでるてれび]

天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(てんさい・たけしのげんきがでるテレビ!!)は、1985年4月14日から1996年10月6日まで日本テレビ系列ほかで放送されていたバラエティ番組で、ビートたけし冠番組。通称「元テレ」、「元気」。
放送時刻は毎週日曜日の20:00 - 20:54(日本時間)。
1995年10月からはタイトルを『超天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(ちょうてんさい・たけしのげんきがでるテレビ!!)に替えリニューアルが図られていた。略称は「超・元気TV」、「超・元テレ」。
== 概要 ==

*ドキュメントバラエティの元祖であり、「テレビとは真実を伝えるものだ」という社会的な共通認識を根本から打ち砕いた革命的な番組だったと評されている〔北田暁大は「通常のドキュメンタリー番組であれば、素材は何らかの有徴性・非日常性を持っていなければならないし、また、素材加工=物語化のプロセスは基本的に隠匿されなくてはならない。『元気が出るテレビ』の方法論は、そうしたドキュメンタリー番組の「お約束」を逆手にとったものだ。内容的にとり上げるに値するとは思えないような対象を、大げさなまでのドキュメンタリー的手法 - 「お約束」を肥大化させたもの - によって料理し、「お約束」に対する嗤いを生み出す。それはいわば、テレビ自身が《あらゆるテレビ番組はヤラセ(演出的)である》という残酷な真理を告白しているようなものだ」と記している(『嗤う日本の「ナショナリズム」』日本放送出版協会、2005年、p155)。〕。最終回でたけしは「今のバラエティでやっていることはすべてこの番組でやってきた」と、この番組がもたらした影響を自負した。
*名もない市井の人々にスポットを当てて話題にし、さまざまな人気者を生み出した。
*:従来のバラエティ番組は基本的に番組内(出演者)だけでストーリーが進行していたのに対し、普通に生活している一般人を主役に祭り上げることで、番組の内容にリアリティを生じさせるという効果があった。
*:「○○区にすごいそば屋のオヤジがいた!」、「信じられないほどお金持ちのお嬢様が実在した!」など、よく考えてみれば視聴者にはあまり重要ではない企画も数多く放送された。
*その一方、番組の都合で急に人気者に仕立て上げられた人物・会社・商店街などが、番組の企画が終了した時点で急に人気がなくなることも多かった。
*お笑いバラエティ番組であるが、松方弘樹原田大二郎宝田明などの二枚目俳優や、野口五郎などの有名歌手がレギュラー出演していた。これは当初、テレビドラマを制作する予定でキャスティングし、スケジュールを空けてもらっていたためである。
*「元気が出る商事(当初は「風林火山商事」)」という設定で、出演者に「社長」「部長」「課長」「秘書」といった肩書があるのは、企画段階では会社を舞台にしたコメディ番組だった名残りである。
*番組全盛期の頃、原宿の竹下通り京都嵐山、千葉県浦安市に「元気が出るハウス」をオープン。タレントショップブームの先駆けとなる〔京都嵐山の元気が出るハウスの近隣に同じくビートたけしプロデュースの北野印度会社というカレー屋があった。〕。
*1988年ごろからコメディ色が薄れ、「ダンス甲子園」など一般人出演者が大きな目標に向かって努力する様子をドキュメントするという内容が目立つようになる。
*同年7月には、「ウィッキーさんのワンポイント英会話に出よう」という企画で、『ズームイン!!朝!』の「Wickyさんのワンポイント英会話」に鞍馬天狗に扮したたけしとリポーターに徹した高田が突如通行人として出演した〔ウィッキーに対してちょっかいを出すたけしの奇妙な行動に当時キャスターの福留功男(たけしにとっては明治大学の先輩である)も「今映っているのはたけしさんじゃないですか?」と声をかけて見破った。そしてウィッキーがたけしと高田にインタビューしようとした瞬間に時間切れで次のコーナーの「朝の詩」が始まってしまった。後日たけしは番組内で「ズームインのスタッフに怒られた」と語っている。〕。
*8月には、「街かどテレビに出よう」という企画で『街かどテレビ11:00』(TBS系)にも変装したたけしとリポーターに徹した高田が突如お客として出演した。
*1996年8月25日の放送において、前番組の『24時間テレビ』でチャリティマラソンを走った赤井英和の日本武道館の到着が遅れた〔この年は一般参加者が南北からたすきリレーし、赤井がアンカーとして両方のたすきを受け取りスタートということになっていたが、片方のルートの到着が遅れたため赤井のスタート予定時間が遅れた影響によるもの。〕 為に『24時間テレビ』の放送時間が15分延長されたが、本番組は繰り下げずそのまま15分短縮され、冒頭のコーナーや最初の提供クレジットはカットされた〔なお、本番組の後の『NNNニューススポット・あすの天気』以降は通常の時間で放送された。〕。
*たけしは第1回目の放送の時に、前番組の『久米宏のTVスクランブル』について「あの番組は終わったのではなくやめさせられたの」と揶揄した。
*たけしがバイク事故で入院していた時期(1994年9月)に、たけしの相方であるビートきよしが1度だけ代理司会を務めたこともある。しかし、思ったほど受けなかったためか、以降、きよしに声が掛かることは無かった。
*番組名の「元気が出るテレビ」は、日曜の夜になると『明日からまた学校や仕事に行かなければならない』と憂鬱な気分になる学生や社会人に対して元気を出させる番組を作る、という主旨でテリー伊藤と牛丸謙壱がネーミングしたものである。
1994年の夏ごろまでは、人気企画(平成口ゲンカ王決定戦、全国高校・校内カラオケ選手権など)もあり高視聴率を保っていたが、同年9月からビートたけしがバイク事故による休養で半年間番組に出演しなくなり、番組の人気に陰りが出始め、同時に、裏番組である『ダウンタウンのごっつええ感じ』の視聴率が上がり始める。翌年3月に復帰するも、半年後の1995年10月にレギュラー出演者を大幅に入れ替え、番組タイトルの頭に「超」を付けてリニューアルをした。
かつての人気企画だった「ダンス甲子園」を「ストリートダンス選手権」として復活させ、一部レギュラーを入れ替えるなどのテコ入れを行うも、番組は1996年10月で終了し放送開始から11年半の歴史に幕を閉じた。
2004年12月22日に初回限定2枚組でDVDが発売された。
2005年の24時間テレビの深夜企画で元気が出るテレビの名場面と復活企画を行うとともに、たけし以外の出演者が全員出演した。翌年の2006年の24時間テレビで、この番組の名物企画だった「ダンス甲子園」が復活した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の詳細全文を読む




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