|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 江 : [こう, え, ごう] 【名詞】 1. inlet 2. bay ・ 江戸 : [えど] 【名詞】 1. old name of Tokyo ・ 戸 : [と] 【名詞】 1. door (Japanese-style) ・ 名 : [な] 【名詞】 1. name 2. reputation ・ 名所 : [めいしょ] 【名詞】 1. famous place ・ 所 : [ところ, どころ] (suf) place ・ 記 : [き] (n,n-suf) chronicle
『江戸名所記』(えどめいしょき)は江戸時代前期に浅井了意によって著された江戸の名所記。寛文2年(1662年)5月、五条寺町河野道清版。先に『慶長見聞集』、『色音論』等もあるが、江戸全体を概括した純粋な地誌としては最初のものである〔稀書複製会編『稀書複製会刊行稀書解説』第10篇、米山堂、1940年〕。 == 概要 == 著者浅井了意は京都出身で江戸の滞在歴がある仮名草子作家で、先に東海道を題材とした『東海道名所記』を著しているが、本書は中川喜雲著の京都初の名所記『京童』に影響を受け、江戸内外の人々に対し江戸の名所を紹介するものである。江戸の繁栄ぶりを強調する記述が目立ち、先に明暦の大火の見聞を『むさしあぶみ』に著した著者が、その後の復興を他国に知らしめようとする意図も伺える。 版下の文字は了意の自筆である〔朝倉治彦「解題」『江戸名所記』名著出版、1976年〕。 刊記に「寛文二年壬寅五月日」とある。巻4祢宜町歌舞伎条に「去年寛文元年」、巻5芝金杉村西応寺条に「今寛文二年ミつのえ寅」とあり、この2巻は刊行と同年の寛文2年(1662年)執筆と考えられるが、全ての内容を5ヶ月以内に書き上げたとは考えにくく、寛文元年(1661年)頃起稿とも考えられる。いずれにせよ、文章と挿絵の配置が十分に整えられておらず、挿絵の雲の形も不統一であることから、刊行はかなり拙速に行われたことがわかる〔朝倉治彦「解題」『仮名草子集成』第7巻、東京堂出版、1986年〕。 序文には、春の麗らかな陽気に誘われて戸を出て歩いていると、長年の友達が同様の気分で宿を出て来た所に遭遇したので、立ち話をした。別れるのも名残惜しいので、流れに任せ、長年江戸に住みながら外の人の質問に答えられないのは愚かしく、また話の種ともなるので、江戸巡りを敢行したという設定が述べられている。二人が名所を巡り狂歌を応酬する形式は『竹斎』以来のもので、先の『東海道名所記』とも共通する。 記述は上方目線であり、挿絵も女性が被衣や市女笠を身につけるなど、京の風俗が混じり込んている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「江戸名所記」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|