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江戸和竿(えどわさお)とはかつて江戸で作られていた竹の釣り竿と、その流れを組む職人(竿師)が作る竿である。 現在の江戸和竿の工房の多くはかつての江戸の外に移転している事が多いが、江戸和竿を作る職人の元で修行して技術を継承していれば江戸和竿に含まれる。 一方、東京で作られている竿でも江戸和竿の系譜に属さない職人が作ったものは江戸和竿に含まないのが一般的である。 == 江戸和竿の歴史 == 江戸和竿がいつから作られ始めたのか明確な資料は見つかっていない。 1723年(享保8年)に書かれた日本初の釣りの解説書「何羨録」には既に継ぎ竿の選び方に関する記述があり、当時から数種類の竹を組み合わせた継ぎ竿が作られていたことが確認できる。 18世紀末に蕨屋利右衛門(竿利)が継ぎ竿の技術を発展させ、1788年(天明8年)に上野広徳寺前の東作(泰地屋東作)がその竿を真似た竿を作り評判になった。 その後、東作の弟子であった釣音が独立し、その釣音から竿忠、竿冶、竿辰など、今日も残る江戸和竿師の系譜が生まれ発展した。 江戸和竿の需要のピークは昭和初期から戦後間もなくのことで、戦後は進駐軍向けに土産物用の西洋風の竿を大量生産して財を成した竿師も少なくなかった。 しかし、グラス竿やカーボン竿の登場によって急速に需要が減少し、多くの竿師が廃業や引退を余儀なくされ、現在は後継者不足によって長い年月をかけて蓄積されてきた技術の喪失が懸念されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「江戸和竿」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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