|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 江 : [こう, え, ごう] 【名詞】 1. inlet 2. bay ・ 江戸 : [えど] 【名詞】 1. old name of Tokyo ・ 江戸川 : [えどがわ] 【名詞】 1. Edo River ・ 戸 : [と] 【名詞】 1. door (Japanese-style) ・ 川 : [かわ] 【名詞】 1. river 2. stream ・ 区 : [く] 【名詞】 1. ward 2. district 3. section ・ 町 : [まち] 【名詞】 1. (1) town 2. (2) street 3. road ・ 町名 : [ちょうめい] (n) name of a town or street ・ 名 : [な] 【名詞】 1. name 2. reputation
本項江戸川区の町名(えどがわくのちょうめい)では、東京都江戸川区における現在の町名及び過去に存在した町名を一覧化するとともに、明治時代初期以来の町名の変遷について記述する。 == 概要 == === 市制町村制施行まで === 江戸川区は、昭和7年(1932年)10月1日、従前の南葛飾郡小岩町、小松川町、松江町、瑞江村、鹿本村(しかもとむら)、篠崎村、葛西村の3町4村の区域をもって成立した(当時は東京市の区であった)。以下、明治時代初期から江戸川区成立までの行政区画の変遷について略述する。 現在の江戸川区の区域は、かつては武蔵国葛飾郡に属し、近世末には以下の37村が存在した。 :下小岩村、中小岩村、上小岩村、伊予田村、小岩田村、中平井村、下平井村、逆井村(さかさいむら)、東小松川村、西小松川村、東船堀村、西船堀村、西一之江村、上一色村、本一色村(もといっしきむら、ほんいっしきむら)、興野宮村(おきのみやむら)、松本村、鹿骨村(ししぼねむら)、上篠崎村、下篠崎村、伊勢屋村、上鎌田村、笹ケ崎村、下今井村、二之江村、上今井村、下鎌田村、当代島村、前野村、東一之江村、新堀村(しんぼりむら)、一之江新田、谷河内村(やごうちむら)、長島村、桑川村、東宇喜田村、西宇喜田村(東船堀村、西船堀村は幕末期に船堀村が東西に分村したもの) なお、荒川放水路の開削に伴う町村の再編や、旧江戸川を挟んで対岸に位置する千葉県東葛飾郡と東京府南葛飾郡の境界変更などの要因により、上記37村の範囲は現行の江戸川区の範囲と完全には一致しない。 明治維新以降、これらの村は武蔵知県事の支配を経て、小菅県、続いて東京府に属した。その後、明治4年7月(1871年8月)の廃藩置県実施までの過渡期には複雑な変遷を経ている。 慶応4年7月17日(1868年9月3日)、「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」が発せられ、それまでの「江戸」が「東京」に改称され、東京府が設置された。なお、慶応4年9月8日(1868年11月18日)に「明治」に改元している。現・江戸川区の区域に存在した村は、武蔵知県事の支配を経て、明治2年1月13日(1869年2月)に発足した小菅県に編入された。 明治4年7月(1871年8月)、廃藩置県が実施された。同年11月(1872年1月)、従来の東京府、品川県、小菅県が廃止されて、新しい東京府が設置された。これに伴い、同年から翌年にかけて品川県と小菅県の町村が東京府に編入され、小菅県に属していた前述の村々も東京府に編入されることとなった。同年11月(1872年1月)、府内は6大区・97小区に分けられた(いわゆる大区小区制)。明治7年(1874年)3月、区割りが見直され、あらためて11大区・103小区が設置された。後に江戸川区となる区域は第11大区第4〜6小区に属した。 その後、郡区町村編制法の施行に伴い、大区小区制は廃止され、明治11年(1878年)11月2日、東京府下に15区6郡(荏原、南豊島、北豊島、東多摩、南足立、南葛飾)が置かれた。後に江戸川区となる区域は、このうちの南葛飾郡に属していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「江戸川区の町名」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|