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江戸 通雅(えど みちまさ、寛正3年(1462年)-永正7年12月20日(1511年1月19日))は、室町時代後期から戦国時代初期の常陸国の国人領主江戸氏当主。通説では江戸通房の子、江戸通秀・通長の弟とされているが、異説として通秀の子(通房の孫)説、通秀の実子である通長の子(通房の曾孫)説も存在する。正室は小野崎朝通の娘。子に江戸通泰がいる。但馬守。 延徳2年(1490年)の山入の乱では、山入義藤に呼応して水戸城周辺から那珂川にかけての佐竹氏の所領を奪った。2年後に義藤が死ぬと岩城氏の仲介で佐竹義舜と和睦して、那珂川周辺の所領を義舜に返還した。以後、佐竹氏側について永正元年(1504年)に義舜とともに山入氏義を攻め滅ぼした。死の間際に、佐竹義舜から今後、江戸氏を佐竹氏一族と同様に扱う事の保証を受けた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「江戸通雅」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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