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江木 翼(えぎ たすく、1873年(明治6年)4月24日 - 1932年(昭和7年)9月18日)は、明治、大正、昭和時代の官僚政治家。 == 生涯 == 1873年(明治6年)4月24日、山口県御庄村(現在の岩国市)に酒造業を営む羽村卯作の子として生まれる。羽村家から、後に枢密顧問官、文部大臣、貴族院議員となる江木千之の養子となる。山口高等中学校予科、本科を経て、1897年(明治30年)東京帝国大学法科大学英法科を卒業し、内務省に入省する。神奈川県事務官、法制局参事官、1910年(明治43年)拓殖局部長を歴任する。 1912年(大正元年)第3次桂内閣で内閣書記官長に就任。その後、1914年(大正3年)の第2次大隈内閣、1924年(大正13年)の第1次加藤高明内閣でも書記官長を務め憲政会、立憲民政党系の官僚政治家として台頭した。この間に、1916年(大正5年)10月5日には貴族院議員に勅選され〔『官報』第1256号、大正5年10月6日。〕、1920年(大正9年)には法学博士号を受けている。 1925年(大正14年)第2次加藤高明内閣の司法大臣となり、第1次若槻内閣でも留任した。1931年(昭和6年)の第2次若槻内閣でも鉄道大臣として入閣し、民政党の歴代総裁からの信任が厚く「民政党の知恵袋」と評され、同党の有力な総裁候補であったが、病のため辞職した。同じ官僚系の伊沢多喜男とは軋轢があり、対立することもあった。1932年(昭和7年)9月18日、前月に死去した養父の後を追うかのように死去。前年から胃癌を患っており、それが肝臓にも転移していた〔服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)56頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「江木翼」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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