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江柄子 裕樹(えがらし ゆうき、1986年11月14日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(投手)。 == 経歴 == ===プロ入り前=== 渋谷区立原宿外苑中学校では、城南ドリームボーイズに所属。 その後、茨城県のつくば秀英高等学校に進学。当時の監督は阿井英二郎であった。1年時からエースとなり、2年時の春には県大会ベスト8に進出。しかし、3年時の夏は茨城県予選2回戦で水戸工業高校に敗退、甲子園出場は果たせなかった。2年下に山田大樹がいる。 高校卒業後は、明治大学に進学。硬式野球部では下級生時代は、層の厚い投手陣の中で目立った存在ではなかった。4年時の春になって、初めてリーグ戦で登板を果たす。開幕カードの東京大学2回戦に先発すると、5回を3安打2失点で降板し勝ち星は付かなかった。続く慶應義塾大学3回戦で7回を無失点に封じリーグ戦初勝利を収めた〔。春は先発の2番手として3勝を挙げ同校の優勝に貢献したが、秋は右肘痛の影響もあり未勝利に終わった。 大学卒業後は東芝に入社。野球部では1年目の春から公式戦に登板。第80回都市対抗野球大会では、準々決勝のホンダ戦で救援登板を果たした。2年目のは、登板数は増やしたが同年の第81回都市対抗野球大会や第37回社会人野球日本選手権大会での登板は無かった。3年目のは、食事など生活面も見直して野球に取り組み、第66回JABA東京スポニチ大会のNTT西日本戦では、6回を投げ切った場面で降板となったが最速150km/hを記録する。第82回都市対抗野球大会では、2回戦の日本生命戦で救援登板し、2回1/3を1失点だった〔。 2011年10月27日、プロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから6位指名を受けた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「江柄子裕樹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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