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江畑 謙介(えばた けんすけ、1949年3月23日 - 2009年10月10日)は、日本の軍事評論家。元拓殖大学海外事情研究所客員教授。 == 人物 == 千葉県銚子市生まれ。市立銚子高校を経て、上智大学大学院理工学研究科博士課程修了。 イギリスの防衛専門誌『ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー』日本特派員、通商産業省産業構造審議会「安全保障貿易管理部」臨時委員、スウェーデン・ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)客員研究員、防衛庁防衛調達適正化会議議員、内閣官房情報セキュリティ専門調査会委員、経済産業省産業構造審議会安全保障貿易管理小委員会委員、日本国際フォーラム付属「日本予防外交センター」運営委員、外務省「対外情報機能強化に関する懇談会」委員などを歴任。 大学在学中に海上自衛隊の一般幹部候補生試験を受けるが、身体検査で不合格となり、大学卒業後は民間企業へ就職する。しかし、本人が望んだ潜水艦関係の部署に配属されなかったために退社し大学院へ進学。大学院在学中は『丸』、『航空情報』、英『ジェーン年鑑』などの軍事雑誌へ記事を投稿し、その原稿料を学費に充てたという。1983年頃に『ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー』の初めての日本特派員となる〔「蓋棺録」『文藝春秋』2009年12月号、p.441〕。 1991年の湾岸戦争時に当初はスタッフに解説する予定だったが、テレビ出演したことで一般への認知度が広まった。テレビ出演ではベレー帽をかぶったようなと形容された江畑の独特な髪型も話題になり、当時はお笑いのネタにもされた〔〔小林信彦『コラムにご用心 エンタテインメント評判記 1989~92』筑摩書房、1992年、p.127〕〔宝泉薫編著『芸能界一発屋外伝』彩流社、1999年、p.179〕。本人は「髪の毛がもっとあれば、こんな髪型しないよ」とこぼし、人に見られるのを嫌がって公共交通機関を使わなかったという〔「『最愛の人を亡くして』伴侶8人が明かす感動ドキュメント 江畑謙介『アプローチは私から』江畑裕美子」『週刊文春』2011年1月20日号、p.40〕。 その後もアメリカのアフガニスタン侵攻やイラク戦争、さらには北朝鮮のミサイル発射、核実験など有事になるたびに、テレビ番組に出演するようになる。出演する放送メディアはほぼNHKのみに限られていた。 2005年に肺線維症と診断され、余命5年と宣告される〔。2009年10月10日、千葉県木更津市〔時事ドットコム2009年10月12日の記事より。〕内の病院にて呼吸不全のため死去。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「江畑謙介」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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