翻訳と辞書
Words near each other
・ 江畑浩規
・ 江畑諒真
・ 江畑謙介
・ 江畑駅
・ 江石
・ 江石清行
・ 江祏
・ 江神二郎
・ 江神橋
・ 江神社
江秉之
・ 江種満子
・ 江種辰明
・ 江稼圃
・ 江竜橋
・ 江端兄弟
・ 江端川
・ 江端貴子
・ 江端郁世
・ 江端郁己


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

江秉之 : ミニ英和和英辞書
江秉之[こう へいし]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう, え, ごう]
 【名詞】 1. inlet 2. bay 
: [これ]
 (int,n) (uk) this

江秉之 : ウィキペディア日本語版
江秉之[こう へいし]
江秉之(こう へいし、381年 - 440年)は、東晋から南朝宋にかけての官僚は玄叔。本貫済陽郡考城県
== 経歴 ==
給事中の江纂の子として生まれた。若くして父を失い、弟妹7人の養育に力をそそいだ。はじめ劉穆之の下で丹陽前軍府参軍となった。劉裕が督徐州となると、秉之はその下で徐州主簿に任じられた。宋国が建てられると世子中軍参軍となった。420年永初元年)、劉裕が皇帝に即位すると、秉之は員外散騎侍郎となり、太子詹事丞に任じられた。422年(永初3年)、少帝が即位すると、秉之は入朝して尚書都官郎となった。次いで永世県令や烏程県令として出向して、善政で知られた。後に建康県令として召還された。430年元嘉7年)、殷景仁が領軍将軍となると、秉之はその下で司馬となった。また山陰県令として出向し、治績を挙げて新安郡太守に任じられた。
435年(元嘉12年)、臨海郡太守に転じた。秉之は得られた秩禄を全て親族や友人に分け与えたため、その妻子は常に飢寒に瀕していた。農地経営を勧める者があったが、秉之は官人として利益を争うことを拒否した。440年(元嘉17年)、死去した。享年は60。
子に江徽があり、尚書都官郎・呉県令となったが、徐湛之の党与として劉劭に殺害された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「江秉之」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.