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江藤 直美(えとう なおみ、女性、1972年7月12日 - )は、日本の元バレーボール選手である。 == 来歴 == 福岡県北九州市出身。中学校1年生からバレーボールを始める。1987年、第1回全国都道府県対抗中学バレーボール大会に熊本選抜で出場した。決勝トーナメントの初戦で神奈川に敗れたが、身長が183cmあり女子の参加選手中最高身長であったことから、オリンピック有望選手に選出された。 扇城高校(現・東九州龍谷高校)では3年連続インターハイに出場し、高校2年の時には春高バレーで準優勝。1989年世界ユース選手権3位、アジアユース選手権優勝、1990年アジアジュニア選手権優勝(サーブ賞)を経験した。1991年に日立に入団し、同年ワールドカップで全日本代表に初選出された。 1996年アトランタオリンピックは直前で代表メンバーから外れた。2000年には全日本の主将を務めたが、同年5月に練習中にレシーブをした際に右ひじを壁に強打し、じん帯断裂の怪我をした。シドニーオリンピック最終予選(6月17日開幕)に出場したものの、思ったようなプレーはできずに五輪出場権を逃した。 2001年日立の廃部に伴い東洋紡に移籍するが、2002年東洋紡の廃部でJTマーヴェラスへ移籍。 2005年1月22日、第12回Vリーグの日立佐和リヴァーレ戦でブロック3得点をあげ、Vリーグ通算ブロック決定本数を601に伸ばし、史上初めてブロック決定本数600の大台に乗せた。 2007年5月開催の黒鷲旗大会を最後に、16年間の現役生活を終えた。 現在、名城大学男子バレーボール部コーチ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「江藤直美」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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