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池島炭鉱(いけしまたんこう)は、西彼杵半島の西沖合約7kmにある周囲約4kmの池島(長崎県長崎市池島町、旧外海町)周辺の海底に広がる炭鉱で、九州最後の炭坑の島であった〔ながさき旅ネット「池島炭鉱体験コース 」〕。 == 概要 == 三井松島産業の子会社である松島炭鉱により、1959年より出炭が始まり、のちに閉山後の松島に建設された電源開発(J-POWER)の石炭火力発電所に石炭を供給した。 当時の炭鉱マンの給与は平均的サラリーマンの約2倍はあったといわれ、日本の基幹産業として高度成長を支え活況を呈していた。また、池島の石炭は良質なものとして重宝され、盛期には社宅として高層アパート群が次々に建設されたが、現在残ったほとんどの住宅や商店街は廃墟となりゴーストタウンの様相を呈している。これらの社宅は共同の浴槽と給湯設備付きの洗濯場付きで、家賃は閉山直前は400円であった。隣接地での旺盛な需要により石炭の採掘は1980〜1990年代にかけても進められ、最盛期の1985年には150万トンを越える石炭が採掘された。 1990年代には鉱区約35,500ha、坑道の総延長距離が約96kmに達し、炭鉱マンの移動時間の短縮のために人車の軌道が改良され、ドイツ製の高速人車(通称「女神号慈海」)も導入された。しかし、その後は炭鉱内での事故が相次いで発生、さらに1998年の電力自由化によって池島の石炭は安価な海外炭に押されるようになり2001年11月に閉山。当時約2,500人いた従業員はすべて解雇された。操業開始から閉山までの出炭量は4,400万トンである。 閉山後に炭鉱技術海外移転事業が始められると、石炭採掘に豊富な経験を持つ日本に対して、大規模な鉱山事故が頻発する中国をはじめとするアジア諸国などより事業継続の要望が強く、現在は炭鉱跡地に研修センターが設けられ、インドネシア、ベトナム人など年間約60名が技術伝承のため入国し働いている。また、2編成が運転されていた高速人車「女神号慈海」は、1編成(6両)が研修センター、もう1編成が大牟田市石炭産業科学館に保存されている。 長崎県の観光企画「長崎さるく」の一環として、期間限定で炭鉱跡や往時の面影を巡るツアーが催されており、簡易ながらも食堂や宿泊施設が存在する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「池島炭鉱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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