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池沢 義行(いけざわ よしゆき、1939年(昭和14年)5月14日 - )は、栃木県〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、33ページ〕出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。 == 来歴・人物 == 大田原高校から神奈川大学に進学。神奈川五大学リーグで3度首位打者を獲得〔。1962年(昭和37年)に読売ジャイアンツへ入団。 1年目から公式戦に出場、2年目にはレギュラー外野手として113試合に出場した。この年(1963年)は1試合だけだが、4番も経験している〔。 1963年(昭和38年)8月11日の阪神タイガース戦では、リリーフで登板した村山実が審判(国友正一)のボール判定に抗議し、涙を浮かべながら退場する場面があったが(「どこ見てるんや! わしは一球一球、命かけて投げてるんや」と。)この時に打席に立っていた打者が池沢である。ちなみに池沢は前日の試合でも、7回までノーヒットピッチングだった村山から8回にヒットを放っている。 1964年(昭和39年)は7月9日の対阪神戦で太田紘一から右肘に死球を受け、打撃不振に陥った〔。 1965年(昭和40年)には、吉田勝豊・安藤元博らとの交換トレードで坂崎一彦・山崎正之と共に東映フライヤーズへ移籍したが不本意な成績に終わり、オフに戦力外通告を受けた。同年10月には前年に死球を受けた右肘を手術している〔。そして1966年(昭和41年)、テストでジャイアンツへ復帰。だが余り活躍できず、同年オフに引退した〔。 引退後は埼玉県志木市で、ガソリン販売業に従事している(2003年現在)〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「池沢義行」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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