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池田 博道(いけだ ひろみち、延享5年(1748年) - 文化9年8月4日(1812年9月9日))は、岡山藩の家老。建部池田家(森寺池田家)第9代当主。 父は岡山藩家老池田俊清。正室は伊木忠知の娘仙。子に池田博教、伊木忠真、池田方智、旗本朽木真綱室。幼名は民之助。通称は弁之進、刑部、右膳、隼人。初名清煕。 延享5年(1748年)、岡山藩家老池田俊清の四男として誕生。嫡男だった兄・勝敬が早世したため、宝暦13年(1763年)に16歳で嫡男となる。明和2年(1765年)4月、父の隠居により家督を継ぐ。 天明8年(1788年)、仕置家老となる。寛政8年(1796年)、藩政改革を志す藩主池田斉政に藩財政悪化の責任を問われ、仕置職を辞職する。 寛政10年(1798年)、御津郡中田村(後の建部村)の別邸に、家臣瀧野善左衛門等に命じて、家中子弟の文武修練のため学問所を設置する。成績の優秀なものには加増し、劣るものには禄を減じた。また、指導にあたる教授には、家禄の他に職俸を給した。 享和3年(1803年)、隠居し嫡男の博教に家督を譲る。文化9年(1812年)8月4日没。次男の忠真は正室仙の実家伊木家に養子入りしている。墓所は阿光山建部池田家墓所(岡山県岡山市北区建部町)。 == 参考文献 == *『岡山県教育史』 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「池田博道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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