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池田厚子 : ミニ英和和英辞書
池田厚子[いけだ あつこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いけ]
 【名詞】 1. pond 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [あつ]
 (suf) thickness
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

池田厚子 : ウィキペディア日本語版
池田厚子[いけだ あつこ]

池田 厚子(いけだ あつこ、1931年3月7日 - )は、日本の元皇族昭和天皇香淳皇后の第四皇女。旧名、順宮 厚子内親王(よりのみや あつこないしんのう)。池田隆政夫人。今上天皇常陸宮正仁親王の姉にあたる。伊勢神宮神職である神宮祭主勲等勲一等
== 略歴 ==

=== 生い立ち ===
1936年昭和11年)より、両親の元を離れ呉竹寮で姉妹と共に養育される。学習院初等科女子学習院(在学中に新学制により学習院女子中等科学習院女子高等科となる)を経て、学習院女子短期大学文科に入学。2年次に家庭生活科に転科し、同科を卒業。
1951年(昭和26年)5月2日中国・四国地方を訪問した際に岡山市後楽園荒手茶寮にて池田隆政と面会。その後、6月末に正式に見合いの場が設けられて婚約が内定。仲人にあたったのは松平康昌
同年5月17日貞明皇后崩御してから2か月足らずの時期であったが、昭和天皇は、第1期の服喪期間の50日間が過ぎた7月10日田島道治宮内庁長官に命じて順宮厚子内親王と隆政との婚約が内定した旨を公式に発表させた。なお、1947年(昭和22年)に廃止された皇室服喪令をその後も踏襲しているとすれば、祖母である貞明皇后に対する厚子内親王の服喪期間は150日であった(最長は昭和天皇などで1年間となる)。服喪期間中に、さらには皇族会議も経ず、昭和天皇自らの裁可による婚約発表は異例であった。
皇族全員の喪が明けた1952年(昭和27年)10月10日に隆政との結婚により皇籍離脱した。元華族とはいえ内親王の結婚相手が、首都から遠く離れた岡山県、しかも農場主というのは極めて異例なことであった。
隆政と厚子は、1953年(昭和28年)2月に有限会社池田産業を設立。1960年(昭和35年)5月には株式会社池田動物園となり、隆政は園長に就任している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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