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南 洋一郎(みなみ よういちろう、1893年1月20日 - 1980年7月14日)は、日本の作家、冒険小説家。教員として東京府東京市牛込区余丁町尋常小学校などで訓導を務めた。 == 人物 == 東京府出身。本名は池田宜政(いけだ よしまさ)。南洋一郎以外にも池田宣政(いけだ のぶまさ)、荻江信正(おぎえ のぶまさ)等の筆名を持ち、数々の著作を発表した。 東京府青山師範学校(現・東京学芸大学)卒業。クリスチャンであった(1915年受洗)。 12歳で父を亡くし、高等小学校卒業後、学校からの紹介で小石川の商家に住み込み奉公へ出る。働く合間に独学で学んでいたが、約1年で体調を崩してしまい、帰郷する。再び働くため、1907年(明治40年)、満鉄(南満州鉄道)に入社、給仕として働きながら、英語学校の夜間部で学ぶ。1910年、青山師範学校入学。1913年、師範学校を卒業、麻布で小学校教師となる。1917年、アテネ・フランセでフランス語・ラテン語を学ぶ。1924年(大正13年)、語学力を買われて、デンマーク・コペンハーゲンで開催されたジャンボリー(ボーイスカウト世界大会)に派遣される。1926年、デンマークでの体験を基にした「懐かしき丁抹の少年」(丁抹=デンマーク)を本名で「少年倶楽部」誌に投稿、雑誌に掲載の運びとなり、教職の傍ら作家活動を開始する。この際編集部が名前を「池田宣政」と間違えたが、そのまま筆名として使用する。また同年結婚している。 作家生活初期は少年倶楽部に執筆する少年向け実話物語を中心に活動、池田宣政名義による感動実話「形見の万年筆」は、多くの教科書に収録されてきた他、池部良主演で映画化もされている。池田宣政名義では他に多数の偉人伝も発表している。 南名義では少年向け冒険小説を多数執筆、特に秘境冒険物を得意とした。1933年発行の代表作『吼える密林』(少年倶楽部連載)は、7年間で130回の重版が行われた戦前の大ベストセラーであった。 1935年、東京府東京市牛込区余丁町尋常小学校(現・新宿区立余丁町小学校)訓導を同校校長の退職勧告で自発的に退き、専業作家となった。 戦後も「バルーバの冒険」シリーズなど冒険小説や実話物語で活躍したが、特に、児童向けルパンとして愛されてきたポプラ社版「怪盗ルパン全集」の訳者として知られる。この全集はモーリス・ルブランの原作を、少年少女向けに大幅に改筆・圧縮した翻案作品として位置づけられている。 1958年(昭和33年)の刊行開始から、没年の1980年まで発行が続き、全30巻の大全集となった。冒険小説で鳴らした南の筆力もあって、筋立ての面白さでは評価が高く、児童書のロングセラーとなった。ルブラン原作のルパンものをほぼすべて収録しているが、最後の5巻はルブラン作品ではなく、ボアロー&ナルスジャックによるパスティーシュを原作としている。また第13巻『ピラミッドの秘密』のように、一部にルブラン作品を取り入れてはいるが、ほぼ南によるパスティーシュと認定されている作品もあった。(南洋一郎自身は、米国の古い少年雑誌への連載作品をもとに書き直したという意味の事をポプラ文庫版のあとがきでしるしている) このような大幅な編訳には「原作とはかけ離れたルパン像を読者に広めた」など、否定的な見方もある。しかし、フランス以外ではさほど知名度の高くないルパンが、日本ではシャーロック・ホームズに負けない有名キャラクターとなったのもこの全集あればこそ、との評価も根強い。 現在はパスティーシュを原作とするものや、ルブランによるルパンの登場しない作品を原作としたもの、極端な創作が加わったもの等を省いた20巻(後述)が、ポプラ社より文庫版、及び新訂版として発行されている。 なお、これとは別に1969年~70年、ポプラ社から、池田宣政名義で「アルセーヌ・ルパン全集」(全20巻/上製箱入・ビニルダスタジャケット付)も刊行、こちらは「南版」より対象年齢の高い学生向に刊行されたこともあって、完訳版ではないものの、「南版」での改筆などはやや抑えられており、完訳版と「南版」の中間ともいえる訳文となっている。 1980年(昭和55年)3月、「怪盗ルパン全集」完結。完結を見届けるかのように、同年7月逝去。。逝去後に勲四等瑞宝章が追贈された(勲記は逝去当日日付)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「南洋一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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