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池田昌豊 : ミニ英和和英辞書
池田昌豊[いけだ まさとよ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いけ]
 【名詞】 1. pond 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 

池田昌豊 : ウィキペディア日本語版
池田昌豊[いけだ まさとよ]
池田 昌豊(いけだ まさとよ、文政5年(1822年) - 明治31年(1898年7月18日)は、徳島藩の仕置家老。父は家老池田家第9代・池田昭訓。子に池田永孝。幼名は政之丞、広之進。通称は登。号は静心斎。
天保13年(1842年)家督を相続し藩仕置方となる(禄高5000石)。藩主蜂須賀斉昌より偏諱を賜って昌豊と名乗る。続く斉裕茂韶の2代の藩主に仕え、混乱する藩論を勤皇に統一する。
天保14年(1843年)新藩主蜂須賀斉裕の家督相続御礼言上の際に、江戸城に登城して斉裕の実兄でもある将軍徳川家慶に拝謁する。文久2年(1862年)蟄居中の調達勘定役・志摩利右衛門吉野川に木材を流す利点を藩に建議したことで讒訴されていた)よりの雪寃書を取次いで翌年、国産調役に復帰させた。慶応3年(1867年)に隠居。明治2年(1869年)静心斎と号す。西南戦争の際に蜂須賀隆芳と共に壮兵(旧藩士出身の志願兵)を1500人組織したことで政府から賞された。明治31年(1898年)没、享年77。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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