|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 池 : [いけ] 【名詞】 1. pond ・ 田 : [た] 【名詞】 1. rice field ・ 正 : [ただし, せい, しょう] 【名詞】 1. (logical) true 2. regular ・ 介 : [かい] 1. (n,vs) shell 2. shellfish 3. being in between 4. mediation 5. concerning oneself with
池田 正介(いけだ しょうすけ、1855年〈安政2年〉 - 1914年〈大正3年〉9月5日)は、日本の軍人。陸軍少将。 日露戦争の時に北関大捷碑を発見し、朝鮮半島から同碑を日本へ持ち帰り靖国神社に奉納した。 == 官歴 == * 1868年(明治元年)5月 - 軍艦第一丁卯艦に乗組み越後に出征〔『アジア歴史資料センター』「陸軍少将池田正介特旨叙位ノ件」(レファレンスコード A12090212200)。〕。 * 6月 - 寺泊港及び松ヶ崎の各所にて賊徒と戦い、後に長州藩の正式隊に加わり秋田港に上陸し、青森に進軍する〔。 * 1869年(明治2年)5月 - 更に進軍して江刺・函館の各地に転戦する〔。 * 1872年(明治5年) - 兵学研究のためフランスに留学〔。 * 1880年(明治13年) - 帰国。陸軍士官学校にて将校教育に従事する〔。 * 1886年(明治19年)3月1日 – 免兼職 陸軍大臣伝令使〔『官報』第796号「官庁事項 - 辞令」1886年3月2日。〕 * 1890年(明治23年)2月8日 - 免 歩兵第一連隊第二大隊長〔『官報』第1984号「叙任及辞令」1890年2月13日。〕 * 1890年(明治23年)2月18日 - 兼勤 フランス留学生取締〔『官報』第1991号「叙任及辞令」1890年2月21日。〕 * 1894年(明治27年)2月21日 - 免 フランス公使館付、補 陸軍大学校兵学教官〔『官報』第3194号「叙任及辞令」1894年2月23日。〕 * 1896年(明治29年)1月16日 - 免 大本営付、補 軍務局付〔『官報』第3769号「叙任及辞令」1896年1月24日。〕 * 1896年(明治29年)2月24日 - 山縣有朋特命全権大使のロシア出張に東條英教等と共に随行す〔『官報』第3795号「叙任及辞令」1896年2月26日。〕。 * 9月25日 - 免 軍務局付、補 歩兵第20連隊連隊長〔『官報』第3976号「叙任及辞令」1896年9月28日。〕 * 1897年(明治30年)9月7日 - 免 歩兵第20連隊連隊長、補 台湾守備歩兵第2連隊長〔『官報』第4258号「叙任及辞令」1897年9月9日。〕 * 1898年(明治31年)12月23日 - 免 第4師団司令部付、補 歩兵第10連隊連隊長〔『官報』第4647号「叙任及辞令」1898年12月24日。〕 * 1900年(明治33年)3月7日 - 休職〔『官報』第5002号「叙任及辞令」1900年3月8日。〕 * 1904年(明治37年)2月23日 - 大本営陸軍幕僚附〔『アジア歴史資料センター』「歩兵大佐 池田正介 勲績明細書」(レファレンスコード C06041126000)〕 * 4月16日 - 外国武官接伴掛〔。 * 7月26日 - 第三軍配属外国従軍武官接伴掛首席将校として戦地に出発〔。 * 11月1日 - 韓国駐剳軍司令部付〔 * 11月30日 - 感鏡道諸隊司令官 * 1905年(明治38年)1月14日 - 任 陸軍少将〔『官報』第6462号「叙任及辞令」1905年1月17日。〕 * 2月1日 - 後備歩兵第17旅団長 * 1906年(明治39年)3月7日 - 歩兵第2旅団司令部付〔『官報』第6804号「叙任及辞令」1906年3月8日。〕 * 7月6日 - 休職〔『官報』第6906号「叙任及辞令」1906年7月7日。〕 * 1907年(明治40年)3月2日 - 予備役〔『官報』第7100号「叙任及辞令」1907年3月4日。〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「池田正介」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|