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池田 龍雄(いけだ たつお、1928年(昭和3年)8月15日 - )は、日本の画家。 == 略歴 == 佐賀県西松浦郡二里村(伊万里市二里町)に生まれる〔『池田龍雄 アヴァンギャルドの軌跡』、p.196〕。父は清、母はチサで、五男二女の長男〔『池田龍雄 アヴァンギャルドの軌跡』、p.196〕。 1935年(昭和10年)4月には佐賀県二里尋常高等小学校に入学する〔『池田龍雄 アヴァンギャルドの軌跡』、p.196〕。同年秋には福岡日々新聞社(現在の西日本新聞社)主催の児童スケッチ大会において三等銅メダルを受賞している〔『池田龍雄 アヴァンギャルドの軌跡』、p.196〕。幼少期には『子供の科学』に親しみ、自然科学に関心を持ったという〔『池田龍雄 アヴァンギャルドの軌跡』、p.196〕。 1941年(昭和16年)4月には佐賀県立伊万里商業学校へ入学する〔『池田龍雄 アヴァンギャルドの軌跡』、p.196〕。1943年(昭和15年)には海軍航空隊に入隊し、第13期海軍飛行予科練習生として鹿児島海軍航空隊に配属される〔『池田龍雄 アヴァンギャルドの軌跡』、p.196〕。 1945年(昭和20年)2月には飛行練習生過程を修了し、岩国航空隊へ移る〔『池田龍雄 アヴァンギャルドの軌跡』、p.196〕。同年4月特攻隊員となり、同年5月には霞ヶ浦航空隊へ移動する〔『池田龍雄 アヴァンギャルドの軌跡』、p.196〕。同年8月には終戦となり、除隊して佐賀へ戻る。 同年11月15日には佐賀師範学校本科1年に編入されるが占領政策により一年で退学となる〔『池田龍雄 アヴァンギャルドの軌跡』、p.196〕。1946年(昭和21年)8月には長崎県佐世保の進駐軍キャンプ設営地で働く〔『池田龍雄 アヴァンギャルドの軌跡』、p.196〕。1948年(昭和23年)には上京して多摩造形芸術専門学校(多摩美術大学)へ入学する。同級生には桂川寛、森正洋らがいる。独学で油絵を学んでいたが、同年秋には学友に誘われ岡本太郎や花田清輝らの「アヴァンギャルド芸術研究会」に参加し、アバンギャルド(前衛芸術)の道を歩む。 1950年(昭和25年)の朝鮮戦争を契機に社会意識を強め、絵画において実際の事件・政治問題に取材したルポタージュの可能性を探る。1954年(昭和29年)には読売バンデパンダン展に内灘闘争を描いた「網元」を発表する。50年代には小型ペン画の制作を行い、50年代終わりには大型ペン画を集中して制作する〔太田(2011)、p.18〕。この時期の作品に「出口のない貌」「砦」があり、50年代に議論された再軍備問題に対する政治意識があったという〔太田(2011)、p.20〕。 大型ペン画制作に関して、池田はアンフォルメル運動に影響され、抽象化に傾く当時の流れに対して事故の外側の世界を取り込み造形化する意識を持っていたと証言している〔池田『夢・現・記 一画家の時代への証言』(1990年)〕。また、「出口のない貌」「砦」で描かれた化物のイメージを発展させた「化物の系譜」シリーズを制作した〔太田(2011)、p.20〕。 池田は1958年8月には福音館書店の絵本誌「こどものとも」29号に掲載された木島始『ろくとはちのぼうけん』の挿絵を手がけており、以来『ないたあかおに』(1965年、偕成社、浜田広介作)、『世界のこどもエスエフ(1)ラスティと宇宙怪ぶつ』(1968年、偕成社、ランプマン作)、『現代子ども図書館13 デブの国ノッポの国』(1972年、学習研究社、アンドレ・モーロワ作)、『ひかりのくに』(1974年、ひかりのくに昭和出版)など数多くの絵本・児童書も手がけている〔『池田龍雄 アヴァンギャルドの軌跡』、p.172〕。 60年代以降には政治的主題を離れ宇宙や時間など物理学的なテーマへ移り、「百仮面」「楕円空間」「玩具世界」「BRAHMAN」「万有引力」「場の位相」シリーズなど風刺や諧謔を交えたペン画のシリーズを制作する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「池田龍雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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