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池西 言水(いけにし ごんすい、慶安3年(1650年) - 享保7年9月24日(1722年11月2日))は江戸時代初期の松尾芭蕉と同時代の俳人である。 奈良に生まれる。名は則好。通称は八郎兵衛、曽祖父の千貫屋久兵衛は奈良大年寄を務めた家系で父も俳諧を嗜んだと伝えられる。別号は兼志、紫藤軒、洛下童、鳳下堂。16歳で法体して俳諧に専念したと伝えられる。江戸に出た年代は不詳であるが延宝年間(1670年代後半)に大名俳人、内藤風虎のサロンで頭角を現した。延宝6年(1678年)に第一撰集、『江戸新道』を編集した。その後『江戸蛇之鮓』『江戸弁慶』『東日記』などを編集し、岸本調和、椎本才麿の一門、松尾芭蕉一派と交流した。天和2年(1682年)の春、京都に移り、『後様姿』を上梓した後、北越、奥羽に旅し、天和4年(1684年)まで西国、九州、出羽・佐渡への3度の地方行脚をおこなった。貞享4年(1687年)、伊藤信徳、北村湖春、斎藤如泉らと『三月物』を編集した。但馬豊岡藩主・京極高住(俳号:云奴、盲月、駒角)と交流した。元禄3年(1690年)の『都曲』編集するが、流行し始めた前句付、笠付などの雑俳にも手を染めた。ほかに『京拾遺』(宝永6年(1709年))など。 ==代表句== * 菜の花や淀も桂も忘れ水 * 高根より礫うち見ん夏の湖 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「池西言水」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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