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池辺豪則 : ミニ英和和英辞書
池辺豪則[いけ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いけ]
 【名詞】 1. pond 
: [へん]
 【名詞】 1. (1) area 2. vicinity 3. (2) side (of triangle, rectangle, etc.) 4. (3) circumstances 
: [ごう]
 【名詞】 1. fine feathers 2. writing brush 3. a little

池辺豪則 ( リダイレクト:池辺巌 ) : ウィキペディア日本語版
池辺巌[いけべ いわお]

池辺 巌(いけべ いわお、1944年1月18日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手外野手)、指導者、監督、解説者
選手として、1962年1979年までの間、大毎オリオンズ〜東京オリオンズ〜ロッテオリオンズ阪神タイガース近鉄バファローズに所属した。選手引退後は近鉄・南海ホークス〜福岡ダイエーホークス横浜大洋ホエールズ・千葉ロッテマリーンズでそれぞれコーチを務めたほかロッテではスカウトの経験もある。
1979年から1986年までは豪則(たけのり)と名乗っていた。
== 来歴・人物 ==
海星高校では、投手として春夏の甲子園に出場。春の選抜では1回戦で阪本敏三のいた平安に敗退。夏の甲子園も1回戦で、この大会準優勝の桐蔭に完封負けを喫した。
大毎オリオンズへ入団し、翌年より外野手に転向。から一軍に定着し、には中堅手の定位置を確保。翌は初めて規定打席に到達し、打率.286でベストテン8位に入った。には三塁手に回されるが、翌は中堅手に戻り、自己最高の打率.322(ベストテン3位)を記録する。のリーグ優勝にも攻守の要として大きく貢献した。
その後もレギュラーとして活躍するが、に監督に就任した金田正一と激しく対立し、に鈴木皖武上辻修小川清一森山正義平山英雄との交換トレードで、井上圭一と共に阪神タイガースへ移籍。ここでもレギュラー中堅手として4年間を過ごすが、肩の弱さが目立ち始め、には近鉄バファローズに移籍し、この年限りで現役を引退。
その後はOBCラジオ大阪解説者( - )を経て、近鉄の一軍外野守備コーチ( - )、南海・ダイエー(二軍守備・走塁コーチ, チーフコーチ)、大洋( - 一軍守備・走塁コーチ)、ロッテ( - 一軍打撃コーチ, 一軍守備・走塁コーチ)を歴任。からはロッテのスカウトを務めたが退団し、千葉テレビJ SPORTSで再び解説を務めた。また、連盟無所属のクラブチーム時代の長崎セインツの監督も一時期務めている。
現役時代は堅実なディフェンスと勝負強いオフェンスで通算1732試合に出場した。とにはダイヤモンドグラブ賞を受賞している。オールスターゲームにも4度出場した。
器用な選手で、多くのポジションをそつなくこなした。外野手が定位置であったが、上述のように1968年には三塁手でレギュラーをつとめている。また、阪神時代の4月30日の対大洋戦(川崎)では、捕手を守ったこともある。この試合で阪神は、8回裏の時点で、捕手として守備に就いている片岡新之介が7回裏に受けたファウルチップによる負傷のため、盗塁を許すなど既にまともに守れる状態ではなく、1点リードしていたものの無死二塁、三塁のピンチに陥っていた。更に、この時阪神は田淵幸一(こちらもファウルチップが当たったため交代)、大島忠一(代打起用済)と捕手全員を使い切っていた。この際、池辺が捕手を務めることを名乗り出た。池辺はアマチュア時代を含めて捕手の経験はなく、文字通りの急造捕手であった。この後の2イニングを古沢憲司とバッテリーを組み、速球カーブのみでなんとか無失点に抑え、勝利を収めた。この池辺の活躍に対して、球団から金一封が出たという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「池辺巌」の詳細全文を読む




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