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池邊 龍一(いけべ りゅういち、1881年(明治14年)1月1日〔人事興信所編『人事興信録 第五版』、人事興信録、1918年〕 -1960年(昭和35年)1月11日〔『朝日新聞』「訃報」1960年1月13日付け朝刊9頁〕)は日本の外交官。内閣総理大臣秘書官等を経て、東洋拓殖総裁として大日本帝国下における植民地経営にあたった。第二次世界大戦後連合国軍最高司令官総司令部により公職追放された。 == 人物 == 長崎県出身〔。私立商工中学校を経て、1904年東京高等商業学校(現一橋大学)卒業。 外務省入省。1907年韓国統監府属。外交官試験合格の同期に吉田茂(のちに内閣総理大臣)、広田弘毅(のちに外務大臣)、武者小路公共(のちに駐ドイツ大使)、平田知夫(第一次世界大戦でモスクワ総領事在任中、39歳で夭逝)、林久治郎(柳条湖事件を批判し、のちに駐ブラジル大使)、尾崎洵盛(のちに男爵、陶器研究家、孫に朝吹英一(木琴奏者)、曾孫に朝吹英和(俳人))などがいる。 内閣総理大臣秘書官、東洋拓殖副総裁を経て、東洋拓殖総裁に就任〔東京日日新聞,1939年12月26日〕。日本統治時代の朝鮮や満州国、華北、南洋諸島など、大日本帝国下の植民地経営などにあたった。 また1925年から1931年まで南洋興発監査役を務めており、南洋興発が東洋拓殖の影響下にあることがわかる〔高木茂樹「南洋興発の財政状況と松江春次の南進論」アジア経済 Monthly journal of Institute of Developing Economies 49(11) pp.26〜46 2008/11(日本貿易振興機構アジア経済研究所研究支援部)〕。 戦後連合国軍最高司令官総司令部により公職追放された。1960年、東京で死去〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「池邊龍一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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