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池間湿原(いけましつげん)は、沖縄県宮古島市の宮古列島池間島の中心部にある湿原である。池間島湿原と呼ばれることもある。また、地元ではイーヌプー〔渡り鳥を呼び寄せる「池間湿原」構想/伊良波 盛男 宮古毎日新聞、2012年10月11日〕〔池間湿原を活性化資源に・ワークショップ 宮古新報、2012年7月14日〕、ユニムイ〔仲地邦博さん(54歳)/「宮古野鳥の会」会長 宮古毎日新聞、2010年10月30日〕とも呼ばれる。 == 歴史 == かつての池間島は東西2つの島に分かれており、その間には南北に延びる細い水路があった。16世紀初めに、この地域を支配した「四島の主」〔「四島」とは、狩俣、島尻、大神、池間の4つの集落を指す。〕が水路の北側に2つの島を結ぶ石橋を架けた。年月が経つにつれて石橋の周囲に砂が堆積して2つの島はつながって、水路は南側に口を開けた細長い入り江になり、「イーヌプー」(「北の入り江」の意)と呼ばれるようになった。この入り江の面積は約60haあったとされる〔池間湿原にサカツラガンが飛来 琉球新報、1997年12月9日〕。 1924年(大正13年)から1934年(昭和9年)にかけて、干拓のために入り江の入口に二重に干拓堤防が造成され、約47haが干拓されて約20haの干拓地が形成された。堤防で区切られた入り江の残りの部分は汽水の沼地となった。これらの干拓の対象となった区域は、「ユニムイ」(砂盛)と呼ばれた。現在の池間小学校・池間中学校のグラウンドはこの干拓地に築かれたものである〔池間島について NPO法人いけま福祉支援センター〕。 さらに、1963年(昭和38年)から1982年(昭和57年)にかけての池間漁港の工事の際に、浚渫した土砂で入口付近が埋め立てられ、入り江は外海と完全に遮断されて淡水化した〔ぺん遊ぺん楽 - イーヌ、ブー 〕〔池間島 池間湿原 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「池間湿原」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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