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汪 時璟(おう じけい)は、中華民国の政治家。中華民国臨時政府、南京国民政府(汪兆銘政権)において、財政関連の要職についた。字は翊唐。 == 事績 == 日本に留学し、陸軍経理学校に入学した。卒業後は北京政府財政総長の王克敏、張弧の下で秘書をつとめ、被服廠廠長も兼任した。1927年(民国16年)7月、武漢市政委員会委員兼中国銀行漢口分行副経理となる。さらに、中国銀行瀋陽分行経理にも就任した。〔徐主編(2007)、722頁。〕〔東亜問題調査会編(1941)、20頁。〕 王克敏らが中華民国臨時政府を樹立すると、汪時璟もこれに参加した。1938年(民国27年)3月に中国聯合準備銀行総裁に就任、同月日華経済協議会委員となる。同年9月臨時政府の行政改革を行うと、10月からは財政総長を兼任。1940年(民国29年)3月、汪兆銘(汪精衛)の南京国民政府が成立すると、汪時璟は華北政務委員会常務委員兼財務総署督弁となった。〔以後、華北河渠委員会委員、全国経済委員会常務委員、華北政務委員会経済総署督弁を歴任している。1944年(民国33年)9月、汪時璟は華北政務委員会の代表として日本を訪問し、入院中の汪兆銘を見舞った。また、日本銀行総裁の渋沢敬三との間で3億円の借款協定に調印している。〔 日本敗北後の1945年(民国34年)12月5日、汪時璟は国民政府に北平で漢奸として逮捕され〔余ほか(2006)、1479頁、1614頁。徐主編(2007)、722頁は「1946年1月逮捕」としている。〕、南京で収監された。翌1946年(民国35年)10月15日、首都高等法院で無期懲役を言い渡される。1949年(民国37年)1月、上海市の監獄へ移送され、中華人民共和国成立後も引き続き同地で収監されている。1952年8月12日、そのまま獄中で病没した。享年66。〔〔余ほか(2006)、1479頁。〕〔『上海監獄志』。〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「汪時ケイ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Wang Shijing 」があります。 スポンサード リンク
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