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汪洋 : ウィキペディア日本語版
汪洋[おう よう]

汪洋(おう よう)は中華人民共和国の政治家。第18期中国共産党中央政治局委員、中華人民共和国国務院副総理(副首相)。前広東省党委員会書記、重慶市党委員会書記。
上海市長、海峡両岸関係協会会長などを務めた汪道涵は伯父に当たる。
== 経歴 ==
貧困家庭に生まれ、早くに父を失った汪は、1972年、高校卒業の学歴さえないまま故郷である安徽省宿県(現宿州市)の食品工場で労働者として働き、1975年8月に中国共産党に入党〔PUZZLE 2012 〜地方から読み解く中国 by 富坂 聰 貧困層出身の出世頭〝改革の旗手〟汪洋 - WEDGE 2012年5月号 〕。文革末期の1976年2月、安徽省宿県地区「五七」幹部候補生学校教員となり、後に党委委員。1979年、中国共産党中央党校理論宣伝幹部班に抜擢され政治経済学を学習。1981年中国共産主義青年団安徽省宿県の党委副書記から、共青団省委宣伝部長、1983年には共青団省委副書記へと昇進を続けた。
1984年からは安徽省体育委員会主任、銅陵市党委員会副書記兼副市長、銅陵市長、省長助理、省計委主任などを歴任し、1993年に最年少で副省長就任。1995年まで中国科学技術大学で工学修士号取得。
1999年9月、朱鎔基内閣で国家発展計画委員会副主任。2003年温家宝内閣で国務院副秘書長。国家機関党組副書記、国務院三峡工程建設委員会委員を兼任。2003年3月、温家宝内閣の元で国務院副秘書長となり国務院弁公庁の日常業務を担当。国家機関党組副書記、国務院三峡工程建設委員会委員などを兼任。2005年重慶市党委書記、2007年12月から広東省党委書記。
2007年10月の第17期一中全会で「二階級特進」の中国共産党中央政治局委員入り。いわゆるで、胡錦濤党総書記に抜擢された。
2008年1月、中国中部を2008年の中国雪害が襲い、送電線が雪の重みに耐え切れず倒れるなどしてインフラに多大な影響を及ぼした。旧正月を直前に控えた広東省では地方からの労働者が帰省のため駅に殺到していた。回復の見込みが無いため、汪洋は今年の帰省を見送るよう求め大多数がそれに応じたものの、被害対策の責任者だった温家宝首相が「旧正月前に帰省できる」と発言したため再度駅に押し寄せし、対応に追われた。
11月、世界的な景気後退を受けて、発表された国務院の景気刺激策に広東省が抱える外資の輸出企業対策が盛り込まれていなかったことを受け、衰退産業を省外に出して質の高い成長への路線転換を行う「騰籠換鳥」を提起した。中小企業の切捨てや失業者対策を半ば放置した発言をしたため、温家宝首相と再度対立する。2009年7月、GDP成長率を8%死守とした「保八」に対し、「GDPの数値はあまり重視していない」「不景気なときに成長が鈍るのは当然」と発言し、構造改革や産業の淘汰を強調。これらは広東モデルと呼ばれた。
2009年、後任である薄熙来党委書記によって重慶市で大規模な汚職追放キャンペーンが展開され、省公安副局長や司法関係者を含む2000人以上が逮捕され、薄熙来と対立した。
2012年12月胡春華に書記職を譲り退任〔中国共産党、広東省書記に胡春華氏を任命 - 朝日新聞(2012年12月19日)〕。
2013年3月、李克強国務院総理の下で、国務院副総理(副首相)に就任。
第16期中央候補委員、第17期中央政治局委員。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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