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沈周[しん しゅう]
沈周(しん しゅう、宣徳2年11月21日 (1427年) - 正徳4年8月2日 (1509年))は、中国の明代中期の文人にして画家である。文人画の一派である呉派を興し「南宋文人画中興の祖」とされた。また蘇州文壇の元老として中国文学史上に名をとどめ、書家としても活躍した。詩書画三絶の芸術家として後世になっても評価が高い。家訓を守り生涯にわたって仕官することなく明朝に抗隠した。 長洲県相城里(現在の江蘇省蘇州)の出身。字を啓南、号を石田・石田翁・白石翁とした。享年83。 == 家系 == 沈氏は元代からの名家であり、一時没落するも曽祖父の代より家運を盛り上げ、広大な農地などの恒産を所有し富豪となった。祖父の沈澄、父の沈恒吉も学問・芸術を好み優れた人物であったが、ともに家訓に従い仕官していない。一説には沈家は元末明初に江南の大富豪であった沈万三の家系とされる。沈万三は張士誠の外戚となっていたため、そのライバルであった明の太祖朱元璋に莫大な家産と海外貿易の権益を没収されるという痛手を受けた。また蘇州は明政府により過酷な徴税を強いられ永らく疲弊した。これらのことから、沈家は明政府を信頼せず保身の為に仕官を認めない家訓を伝えてきたと思われる。貿易商だった沈家には西域人の血が混入したようで清の銭謙益や阮元らによると沈周は彫りが深く碧眼だったと記している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「沈周」の詳細全文を読む
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