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沈徳潜[しん とくせん]
沈 徳潜(しん とくせん、''Shěn Déqián''、1673年(康熙12年) - 1769年(乾隆34年))は中国清朝中期の文人、学者。江蘇省長洲県の人。字は確士、号は帰愚、謚は文愨。 卓越した才を持ちながら官途に恵まれず、1739年(乾隆4年)、67歳にしてようやく進士に挙げられた。乾隆帝は称して老名士となし、召して歴代の詩の源流昇降を論ぜしめ、大いにこれを賞賛した。礼部侍郎に抜擢されたが、寄る年波には勝てず、帰郷を願い出て許された。その後、銭陳群等とともに文学サロン香山九老会に関与し、大老と称せられた。乾隆帝は自作の「懐旧」詩に沈徳潜と銭陳群とを並び称して「東南二老」とした。数え年97まで長命し、卒するに及んで太子太師の称号を贈られた。 その詩は格律にすこぶる厳密で「淳古淡白」と言われ、王士禎の「神韻説」、袁枚の「性霊説」とともに当時の詩壇の一角を形成。格律を重視するところからとりわけ性霊説とは鋭く対立した。 著作に『五朝詩別裁集』『古詩源』『唐宋八家文読本』『帰愚詩文鈔』等がある。『五朝詩別裁集』のうち、唐朝の部に当たる『唐詩別裁集』は『唐詩三百首』の祖形となったことでも知られる。『帰愚詩文鈔』は自作の詩文集。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「沈徳潜」の詳細全文を読む
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