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沖縄かりゆしフットボールクラブ(おきなわかりゆしフットボールクラブ、略称:沖縄かりゆしFC)は、沖縄県那覇市を本拠地として2010年1月まで活動していたサッカーのクラブチームである。 ==概要== 1999年に、沖縄県最大のホテルグループである「かりゆしホテルグループ」のサッカー部として発足。その年の天皇杯沖縄県予選会を兼ねた「沖縄タイムス杯県サッカー選手権」で準優勝する健闘を見せる。その後も「沖縄テレビ杯県社会人リーグ戦」も3部(東部ブロック)→2部→1部とステップアップし優勝を飾る。 チームが本格的にJリーグ参戦を目指すようになったのは、県社会人リーグ1部を制した2001年。元ヴェルディ川崎のラモス瑠偉を選手兼テクニカルアドバイザーとして招聘し、「株式会社沖縄かりゆしフットボールクラブ」としてチームの法人組織化を行う一方、サテライト(2軍)組織「かりゆしサウシーシャ」(県社会人リーグ所属)、ユース組織も確立した。同年には、第81回天皇杯に沖縄県代表として初出場を果たし、同年から3年連続で天皇杯沖縄県代表となる。 2002年には九州サッカーリーグで優勝し、JFL昇格がかかった地域リーグ決勝大会に駒を進めるが、惜しくも予選ラウンドで敗退。その際、選手の集団退団騒動が起こり(退団した選手やラモスが中心となって新チームFC琉球を結成)、チームは存続の危機に立たされる。翌2003年は、多数の新規加入選手と加藤久監督の下、悲願のJFL参戦と将来のJリーグ入りを目指してスタートしたが、2004年度限りでかりゆしのスポンサードが打ち切られると共に、同年9月に加藤監督以下当時の所属選手27人全員が退団することを発表した。同年10月に開催された全国社会人サッカー選手権大会ではホンダルミノッソ狭山FC(ホンダの埼玉製作所・狭山工場の実業団チーム)と死闘を展開し、0-0の同点で終了(延長戦が台風のため行われなかった)という結果だったが、優勝を飾った。 2005年にはサテライト組織「かりゆしサウシーシャ」所属選手を中心としたチーム再編を推し進め、九州リーグに引き続き参加することとなった。同年には、ユース組織を「ヴィクサーレ沖縄」として特定非営利活動法人化した。 2007年には、第87回天皇杯出場権を2003年以来、4年ぶりに獲得。JFL所属のFC琉球や、九州リーグ所属の沖縄海邦銀行などの競合相手がいるにもかかわらず、同年から3年連続で本大会出場権を確保している。 しかし、この年のシーズン終了後、事実上のプロ選手に支払われた給料の支払いを行わず、アウェー(九州の他7県での遠征)費用などを負担する方針を固めた。チームの運営費用の負担が年々増大していることからチーム存続のための経費削減策で、「少なくとも2010年までの3年計画で負債を返済し、九州リーグに生き残ることだけを考えて取り組む」という姿勢を打ちだした(かりゆしFC 来季の給料打ち切り 2007年11月9日・琉球新報)。 その再建3年計画の初年となった2008年には、5シーズンぶりとなる九州リーグ優勝を果たし、地域リーグ決勝大会を果たすが、第1ラウンド3戦目でホンダロック(同年は九州サッカーリーグで3位、全国社会人サッカー選手権大会で上位に入ることで同大会出場権を獲得)に敗れる。これでチームは第1ラウンド最下位となり敗退、相手のホンダロックはこの勝利によって同リーグ1位となり、最終的に2009年JFL昇格という対照的な結果に終わった。 2009年には、2002、2003年シーズン以来となる九州サッカーリーグ連覇を果たし、2年連続で地域リーグ決勝大会に進出することとなったものの、2年連続で予選リーグを敗退し、JFL昇格を逃した。その直後の2009年12月10日、2010年1月末でクラブを解散することを発表。理由について、與那嶺茂社長は、選手給与や遠征費などの運営費が年間約5000〜6000万円掛かることを挙げ、「運営費をつくれないのが一番の大きな理由。創部11年で苦渋の決断」としており、Jリーグ参戦の前に、JFL昇格を果たせないばかりか、チーム再建3カ年計画の最終年を待たずして、チームは事実上の休部となった。クラブは存続を前提として県内外の企業と受け入れ先の交渉を進めたが、所定期間内に受け皿となる企業が見つからなかった場合は九州リーグへの復帰ができない可能性も示唆されていた。(かりゆしFC解散「苦しい決断」 来季運営費捻出できず 2009年12月12日・琉球新報)所属者の一部は、以前にかりゆしから分離・独立したFC琉球に移籍した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「沖縄かりゆしフットボールクラブ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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