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沖縄プロレス(おきなわプロレス)は、沖縄県を中心に活動していたプロレス団体。 == 概要 == 2007年春、沖縄県出身で妻の早坂好恵を持つスペル・デルフィンが応募した沖縄が支援する「ベンチャービジネスサポート事業」の一環として採択される。沖縄県産業振興公社のバックアップもあり、観光名所でもある国際通りにあるエスプリコートビル5階を会場兼事務所に改装して当初は大阪プロレスの傘下団体として「沖縄プロレス」を設立。2008年7月5日に旗揚げ戦を開催。なお団体のロゴマークはデルフィンと親交のある漫画家の松本零士の手によるもの。 基本的に観光客の「夜のエンターテイメント・ビジネス」として観光スポットの1つになることを目指す。もちろん地域に密着したプロスポーツエンターテイメントとして根付くよう努力するというコンセプトの下、試合前には沖縄プロレス所属選手よる音楽ユニット「親父倶楽部」が三線演奏と唄で盛り上げる他、入場料金についても沖縄県民を対象とした「地元割引」を設定している。 設立当初、興行面ではデルフィンが大阪プロレス時代に確立した「団体独自の常設会場においてほぼ毎日試合を行う」という手法を踏襲し、国際通りの常設会場「デルフィンアリーナ国際通り」にて、週1日定休日(水曜日)以外、週6日毎晩3試合を行っていた。また沖縄県内各地への出張興行も行っている。試合の模様についても、タイトルマッチ等の大試合はスカイAにて中継が行われる。それ以外に興行を行っていない時間帯の会場貸し出し等、様々な方面での収入確保に努めている。 2012年8月4日、初のビッグイベント「闘人〜ばとるんちゅ〜」を沖縄県立武道館で開催〔真夏のビッグイベント『闘人〜ばとるんちゅ〜』開催決定! 2012年4月4日〕。 また事業契約が満了となり、社長であるスペル・デルフィンが故郷である大阪府和泉市から市議会議員に出馬するため、2012年8月25日の大会を以ってデルフィンアリーナ国際通りを閉鎖〔沖縄プロレスより皆様にお知らせ 2012年6月18日〕、事務所も大阪府和泉市に移転した〔デルフィンアリーナ国際通り会場閉鎖と事務所移転のお知らせ 2012年8月29日〕。 沖縄プロレスは、プロレス団体として活動を停止して、現在はプロレス興行会社として活動している。デルフィンを除く所属選手はフリーとなり、デルフィンも会社に籍は残すものの実質フリーとして大阪を中心に活動している。 2013年、所属選手の1人だったグルクン・ダイバーがリングネーム「グルクンマスク」に改名して、4月28日に新たなプロレス団体「琉球ドラゴンプロレスリング」を旗揚げ戦を開催。沖縄にプロレス団体が復活した。 同年8月17日、1年ぶりの興行を愛媛県のテクスポート今治、翌18日には和泉市シティプラザ 弥生の風ホール大会で開催することが発表された。 2014年7月5日、沖縄プロレス6周年大会を新木場1stRINGで開催。 同年7月6日、沖縄プロレス6周年大会を京セラドーム大阪スカイホールで開催。 2015年、デルフィンが大阪で海鮮プロレスを旗揚げ。沖縄プロレスは、プロレス興行会社としても事実上の活動停止となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「沖縄プロレス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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