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沖縄丸(おきなわまる)は、日本の逓信省に所属した海底ケーブル敷設船である。日本が保有した最初の本格的海底ケーブル敷設船で、台湾への海底電信線敷設を目的として1896年(明治29年)にイギリスで竣工した。40年以上にもわたり日本の海底ケーブル敷設の主役として活躍し、日露戦争では軍用通信網整備により日本軍の勝利に貢献した。1938年(昭和13年)に民間に払い下げられて貨物船に改装されたが、太平洋戦争中に撃沈された。 == 建造の経緯 == 明治維新後、日本でも電信通信網の整備が開始された。日本の対外電信線の敷設はデンマークの大北電信会社が免許を受け、1882年(明治15年)以降は独占特許となっていたため〔日本電信電話公社(1971年)、82頁。〕、国内線のみが日本の逓信省の手によって整備されることになった。 島国である日本では、国内電信線でも海底ケーブルの敷設が必要であった。最初の国内海底ケーブルとなったのは、1873年(明治6年)に東京・長崎線の一部として関門海峡に敷設された赤間関横断線である。まだ海底ケーブル敷設船が日本に無かったことから、お雇い外国人の指揮する小型蒸気船電信丸で団平船(平底の和船)を曳航して敷設作業を行った〔日本電信電話公社(1971年)、90-92頁。〕。津軽海峡横断線の敷設は1本目を大北電信に工事委託したが、2本目は灯台見回り船明治丸を臨時の敷設船に改装して用い、1890年(明治23年)に日本人の手により敷設を成功させた〔日本電信電話公社(1971年)、103・117頁。〕。その後、灯台見回り船灯明丸(374トン)も改装して海底ケーブル敷設に利用されたが、明治丸も灯明丸も敷設能力は小さなものだった〔日本電信電話公社(1971年)、130頁。〕。 こうした中、日清戦争で日本が台湾を獲得すると、台湾への海底ケーブルによる電信敷設が急遽必要となった。そこで、1895年(明治28年)、日本最初となる本格的海底ケーブル敷設船の建造が決定され、イギリスのグラスゴーにあるロブニッツ社(en)へと発注が行われた〔。新造船は翌1896年(明治29年)2月18日に進水して沖縄丸と命名、同年4月10日に竣工した。船名の由来は台湾への経由地である沖縄県といわれるが、「沖の縄」で海底ケーブルの意味だとする説もある〔日本電信電話公社(1971年)、135-136頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「沖縄丸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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