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沖野城(おきのじょう)は、日本の陸奥国名取郡、現在の宮城県仙台市若林区沖野7丁目にあった中世の日本の城である。不明の点が多いが、16世紀末に廃止された。東西約400メートル、南北約300メートルの範囲で、二重の土塁と二重の水濠を巡らせた。 == 立地・構造・遺物 == 城跡は仙台平野を流れる広瀬川の後背湿地にある。現在の地理では、仙台の中心部(仙台駅)から南東に9.5キロメートル、広瀬川から北東に3キロメートルで、霞の目飛行場の南に接する。 現地には「館」「館西」「館南」の地名がある。江戸時代に作られた『仙台領古城書上』に、4方100間とあり、20世紀半ばまでの集落全体に相当するところが城の範囲ではないかと思われる。東西約400メートル、南北約300メートルである。 1970年前後の『仙台領内古城・館』によれば、北西部に土塁と溝の跡が断続的に残り、土塁跡は北西端で二重になっていた。残存土塁の高さは内側で最大約5メートル、外側で最大1.5メートル。二重土塁の間の濠は約10メートルあった。以前は外側土塁の外にも濠があったと伝えられていた〔紫桃正隆『仙台領内古城・館』第4巻43頁。〕。 このうち北辺のものは1985年の調査時点でも土塁状の高まりと堀跡らしきくぼみとして残っていたが、西よりのほうは崩されてしまった。この発掘調査では、北西端に平行して走る溝2本が見つかり、内側と思われる溝については直角で交わる北西端も判明した。発掘調査されたのは内側の溝の西辺の2箇所だけで、上端幅5.9から8.0メートルで、下端幅1.4から1.6メートル、深さ1.9から2.3メートルで、壁の傾きは約45度あった。地表に残る土塁とくぼみの延長は、この北西端につながるようである。遺物としては、1985年の調査で中世の陶器の小破片2つが見つかった〔「沖野城跡」『年報』7、17頁。〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「沖野城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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