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沙市区(さし-く)は中華人民共和国湖北省荊州市に位置する市轄区。長江の北岸に位置する港湾都市であり、かつては単独で地級市を形成していた。 == 歴史 == 春秋時代、戦国時代には、この付近にあった楚の首都・郢の外港および長江の渡し場となっており、古くは名津あるいは名夏首と呼ばれ、春秋戦国時代に江津と改名された。後漢末期に関羽が現在の沙市のすぐ西に江陵城(現在の荊州古城の場所にあった)を築き、江陵は物流・戦略上の要地として重要となり争奪戦の舞台になった。港町の名は唐代に沙頭市と改められたが、これが縮められて現在の沙市という地名になった。 沙市には元代の1324年に建てられた章華寺、明代の1552年に長江沿いに建てられた七層八角形の万寿宝塔などがあり名勝となっている。その他、雞公山文化遺址、周梁玉橋文化遺址、春秋時代の楚の愛国詩人屈原が住んだ江瀆宮などがある。中山公園は1935年に整備された都心の公園で、周囲を江津湖に囲まれており、中山紀念堂や楼閣などのほか、春秋時代の著名人物である孫叔敖の墳墓もある。沙市の市街に隣接して荊州古城(旧江陵城、荊州区)があり、近郊には411年間にわたり楚の国都であった紀南城跡もある。 1894年の日清戦争の敗戦後、翌1895年の下関条約で沙市は開港地となり長江有数の港湾都市となった。日中戦争では1940年6月8日に沙市は日本軍に占領され、終戦まで占領された。日本軍の投降後は国民党湖北省政府第四行政専員公署が置かれたが、1949年7月15日に人民解放軍に制圧された。中華人民共和国成立後、荊州周辺は何度も行政区分の変更が行われた。当初は湖北省の直轄市(省轄市)だったが、1956年には荊州地轄市となり、1979年に再度省轄市となり、名称も沙市市に戻った。1994年10月、国務院は沙市市、江陵県、荊州地区の合併を批准し、地級市「荊沙市」が発足したが、1996年に荊州市と名称変更され現在に至っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「沙市区」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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