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葛城 襲津彦(かずらき の そつひこ/かづらき-/かつらぎ-/かずらぎ-、生没年不詳:4世紀末から5世紀前半頃と推定)は、記紀等に伝わる古代日本の人物。 武内宿禰の子で、葛城氏およびその同族の祖とされるほか、履中天皇(第16代)・反正天皇(第17代)・允恭天皇(第18代)の外祖父である。対朝鮮外交で活躍したとされる伝説上の人物であるが、『百済記』の類似名称の記載からモデル人物の強い実在性が指摘される。 == 名称 == 名称は、『日本書紀』では「葛城襲津彦」、『古事記』では「葛城長江曾都毘古(曽都毘古)」や「葛城之曾都毘古」と表記される。襲津彦のモデル人物は実在を仮定すれば4世紀末から5世紀前半頃の人物と推測されるが、その頃に氏・カバネは未成立であるため、「葛城」というウジ名のような冠称は記紀編纂時の氏姓制度の知識に基づいて付されたものになる〔「葛城」『角川日本地名大辞典 29 奈良県』 角川書店、1990年。〕。 他文献では「ソツヒコ」が「曾頭日古」「曾豆比古」「曾都比古」とも表記されるほか、『紀氏家牒』逸文では「葛城長柄襲津彦宿禰」と表記される。 また、『日本書紀』所引の『百済記』に壬午年(382年)の人物として見える「沙至比跪(さちひこ)」は、通説では襲津彦に比定される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「葛城襲津彦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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