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沢光 幸夫(さわひかり ゆきお、本名:沢向 幸夫(さわむかい ゆきお)、1941年6月18日 - )は、北海道常呂郡佐呂間村(現・同郡佐呂間町)出身で、時津風部屋に所属した大相撲力士。最高位は東小結(1964年7月場所)。大相撲の黄金時代のひとつである「柏鵬時代」の中期に、幕内力士として活躍した。現役時代の体格は173cm、105kg。得意手は右四つ、突っ張り、寄り。 本名は上記の通りだが、一時期だけ「梅村 幸夫(うめむら~)」と名乗っていた事もある。 == 来歴・人物 == 実家は農家。憧れの力士は、同じ北海道出身の前頭・双ッ龍であった。彼が巡業で札幌市内を訪れた際に入門を志願し許され、その所属部屋である時津風部屋に入門。1956年9月場所にて、15歳で初土俵を踏んだ。同期の初土俵には後の横綱・大鵬の他、大関・清國や前頭の大心、同・玉嵐らがいる。 初土俵の場所では前相撲のみ取り、次の場所では新序に昇格して3勝1敗と、好成績を収めた。そのため、翌年3月場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。 幕下にいた1960年3月頃廃業を決心し、親方に内緒で部屋を飛び出し、大阪で旋盤工の仕事をしていた事があった(結局1ヵ月ほどで翻意し、東京に戻っている)。その後、1962年1月場所で新十両に昇進。1963年9月場所では十両優勝を果たし、翌11月場所、22歳で入幕した。同場所では10勝を挙げ、敢闘賞を受賞している。 幕内4場所目となった1964年5月場所では、東前頭4枚目の地位で8勝7敗と勝ち越した。成績は平凡なものであったが、優勝した横綱・栃ノ海を破った一番が評価されて殊勲賞を受賞し、番付運にも恵まれて翌7月場所では三役(小結)昇進を果たした。しかし、2勝13敗と大きく負け越して三役経験は結局、この1場所だけに終わっている。 翌9月場所も5勝10敗と負け越し、11月場所では幕尻まで下がり初日から休場。結局、同場所を最後に、23歳5ヵ月という若さで廃業してしまった。 廃業後は、京都府内で相撲料理の店などを営んだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「沢光幸夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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