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沢田 幸二(さわだ こうじ 1957年12月8日 - )は、KBC九州朝日放送の編成局担当局長〔第61回民間放送全国大会を開催 - トピックス | 一般社団法人 日本民間放送連盟 〕。KBCエグゼクティブアナウンサー。 山口県岩国市出身。射手座。血液型はB型。愛称はさわぼ〜、こーちゃん。別名としてハニワ、カッパ。 == 経歴 == *山口県立岩国高等学校を経て立教大学社会学部卒業後、1980年4月九州朝日放送にアナウンサーとして入社。同期のアナウンサーに奥田智子、和田安生(現在はラジオ制作部長)、山本栄子(現在は退社し、アメリカ・オレゴン州在住)。 *入社当初は主にスポーツ中継を担当していた。福岡国際マラソン生中継で、折り返し点に、宗茂が走ってきたが、宗茂と宗猛の区別がつかず、仕方なく「宗兄弟が来ました」と言う失敗をしてしまった。〔沢田曰く、新人なので、慌てる事のない様に時間的に余裕を持って、トップの選手が現れる数分前に中継を渡すと、メイン実況の某アナウンサーに事前に告げられていた。折り返し地点・海ノ中道や香椎の歴史・由来などのコメントや話の順番もあらかじめ考えていたにもかかわらず、いざ本番では某アナウンサーがトップランナーが折り返す直前にマイクを沢田に渡してきたため、用意していたコメントも喋る事ができなかった〕 *プロ野球 宮崎キャンプ取材の折、バスから降りる時に転倒し、足首を捻挫。松葉杖姿で、そのまま福岡へ「強制送還」となった事があり、スポーツ担当から外され、「(PAO〜Nスタート直前の入社3年目は)仕事なかった」と後に告白するほどの不遇の時代を過ごした。 *1983年から1990年まで、KBCラジオの夜ワイド番組『PAO〜N ぼくらラジオ異星人』のメインパーソナリティを担当。卓越したマシンガントークで、絶大な人気を誇り、ラジオ番組専門誌「ラジオパラダイス」でのパーソナリティ人気投票年間ベスト3入りし、当時の『局アナ』『夜ワイド』『DX(ラジオの遠距離受信)』ブームに乗り、九州の局所属のアナウンサーとしては全国区の人気者となった。 :前述のパーソナリティ人気投票で、常に激しい競争を展開していたCBCアナウンサーの小堀勝啓(『ラジオパラダイス』1987年9月号)、ニッポン放送アナウンサーの上柳昌彦との誌上共演企画が実現した事もあった。上柳は立教大学の1年後輩で親交もあり、1989年3月12日に開催された『HITACHI FAN! FUN! TODAY』(ニッポン放送)の福岡でのイベント『FAN! FUN! in福岡』で共演した他〔『月刊ラジオパラダイス』1989年5月号97ページ『KO〜MON』通信〕、沢田に第一子が出来た時には、上柳も『FAN! FUN! TODAY』の番組中でお祝いの言葉を送った〔『月刊ラジオパラダイス』1990年4月号84ページ『KO〜MON』通信〕。また、『上柳昌彦 ごごばん!』(ニッポン放送)の2013年11月6日放送分にゲスト出演もした。 *KBCラジオの大型改編に伴い、1990年4月の『PAO〜N ぼくらラジオ異星人』終了後、KBC-INPAXの平日帯昼ワイド『アフタヌーンスロープ』を、1993年3月までの3年間に渡って担当。その後、KBCテレビ『情報回遊TV うるとらマンボウ』を7年間担当。福岡空港でのガルーダ機事故の際には、報道スタジオから事故の模様を全国に伝えていた。 *『情報回遊TV うるとらマンボウ』降板後はラジオ制作部長代理として、KBCラジオの平日帯昼ワイド『栗田善成のそんなバナナ塾』の番組プロデューサーを務めた。2002年より、編成局アナウンス部長として復帰。 *2003年3月31日から昼ワイド番組としてリニューアルした、KBCラジオ『PAO〜N』のメインパーソナリティを務めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「沢田幸二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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