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河上 君榮(かわかみ きみえ、1907年1月30日 - 没年不詳)は、日本の女優である〔キネマ旬報, p.5.〕〔映画世界社, p.45.〕〔映画世界社, p.54.〕〔蒲田, p.28.〕〔映画世界社, p.62.〕〔''河上君栄''、''jlogos.com'', エア、2013年5月14日閲覧。〕〔''河上君江''、''光村貴美子''、''光村きみ子''、日本映画データベース、2013年5月14日閲覧。〕〔''河上君栄''、''河上君江''、''光村貴美子''、日本映画情報システム、文化庁、2013年5月14日閲覧。〕〔''河上君栄''、日本映画製作者連盟、2013年5月14日閲覧。〕〔''河上君江''、KINENOTE, 2013年5月14日閲覧。〕〔''河上君栄''、''光村貴美子''、''光村きみ子''、allcinema, 2013年5月14日閲覧。〕〔''光村貴美子''、''光村きみ子''、日活データベース、2013年5月14日閲覧。〕〔''河上君榮''、''河上君栄''、''河上君江''、''河上君枝''、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年5月14日閲覧。〕。新漢字表記河上 君栄〔〔〔〔〔〔。本名川上 高江(かわかみ たかえ)〔〔〔〔、旧芸名光村 貴美子(みつむら きみこ、光村 きみ子とも)〔〔〔〔映画俳優事典 戦前日本篇 、国立国会図書館、2013年5月14日閲覧。〕、河上 君江、河上 君枝と表記されることもある〔〔〔〔〔。 == 人物・来歴 == 1907年(明治40年)1月30日、愛媛県松山市に生まれる〔〔〔〔〔〔。 同市内にある旧制・松山市裁縫女学校を卒業するとともに京都に移り、満17歳となった1924年(大正13年)7月、日活大将軍撮影所に置かれた関根達発の研究所の研究生として入社する〔〔〔〔〔。「光村 貴美子」の名で脇役出演を始め、満18歳になった1925年(大正14年)11月12日に公開された『愛国の血刃』(監督高橋寿康)に出演して、認められるようになり、1926年(大正15年)4月1日に公開された『実録忠臣蔵 天の巻 地の巻 人の巻』(監督池田富保)では大野群右衛門の妻に抜擢されたが、端役が続き、同年9月には同社を退社、同年10月1日、関根達発の紹介により牧野省三のマキノ・プロダクションに移籍、「河上 君榮」と改名し、関根主演の『勝てば官軍』(監督富沢進郎)で相手役に抜擢されて再デビューを果たした〔〔〔〔〔〔。 1929年(昭和4年)7月25日には、牧野省三が亡くなり、同年9月にマキノ正博を核とした新体制が発表になると、河上は、マキノ智子、松浦築枝、岡島艶子、大林梅子、生野初子、櫻木梅子、三保松子、泉清子、都賀静子、北岡よし江、住乃江田鶴子、別所ます江らとともに「俳優部女優」に名を連ねた〔1929年 マキノ・プロダクション御室撮影所所員録 、立命館大学、2013年5月14日閲覧。〕。1930年(昭和5年)3月14日・4月4日にそれぞれ公開された『日本巌窟王 前篇』『日本巌窟王 後篇』(監督中島宝三)に出演したのを最後に同社を退社、松竹下加茂撮影所に移籍した〔〔。やがてサイレント映画の時代は終わるが、河上は、同撮影所でトーキーの時代を迎え、引き続き出演した〔〔。『一九三三年版 オール松竹俳優名鑑』によれば、1933年(昭和8年)、満26歳のときには、身長5尺6寸(169.7センチメートル)の長身であり、体重12貫300匁(45.9キログラム)、趣味は日本舞踊、裁縫、生け花であると記されている〔。戦前の出演記録は、1940年(昭和15年)8月8日に公開された『縁結び高田馬場』(監督小坂哲人)が最後である〔〔。 第二次世界大戦後も、松竹京都撮影所に所属し、もっぱら脇役・端役ではあるが、溝口健二や伊藤大輔の作品に出演した〔〔〔〔。満51歳になった1959年(昭和34年)2月10日に公開された『伝七捕物帖 女肌地獄』(監督酒井欣也)に出演して以降の記録がみられない〔〔〔〔。以降の消息も不明である。没年不詳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「河上君榮」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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