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河井 克行(かわい かつゆき、1963年3月11日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(6期)、内閣総理大臣補佐官(第3次安倍改造内閣)、きさらぎ会幹事長。 法務副大臣(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)、外務大臣政務官(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、衆議院外務委員長、広島県議会議員(1期)等を務めた。 == 来歴 == 広島県広島市安佐南区生まれ。広島市立安小学校、広島学院中学校、広島学院高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。1985年、大学を卒業し、松下幸之助が創設した松下政経塾に入塾(第6期生)。同期生に、福井県越前市長の奈良俊幸がいる。1990年、松下政経塾を卒塾し、出身地である広島県に帰郷。 1991年、広島県議会議員選挙に広島市安佐南区選挙区から出馬し、初当選した。1993年、県議を1期目の任期途中で辞職し、第40回衆議院議員総選挙に旧広島1区から自由民主党公認で出馬するも落選。1996年、第41回衆議院議員総選挙に広島3区から自民党公認で出馬し、新進党新人の増原義剛らを破り、当選した。2000年の第42回衆議院議員総選挙では、前回の選挙で破った無所属の増原義剛に敗れ、比例復活もならず落選。増原がその後自民党に入党したため、以後2009年の第45回衆議院議員総選挙まではコスタリカ方式が採られ、河井、増原が交互に比例中国ブロック、広島3区から出馬する構図が続く。2003年の第43回衆議院議員総選挙では比例中国ブロック単独2位で出馬し、3年ぶりに国政に復帰した。2004年、第2次小泉改造内閣で外務大臣政務官に任命され、第3次小泉内閣まで務める。 2007年、第1次安倍改造内閣で法務副大臣に任命され、福田康夫内閣まで務める。2009年の第45回衆議院議員総選挙に比例中国ブロック単独3位で出馬し、4選。一方、広島3区から出馬した増原義剛は比例復活も叶わず落選し、2010年に政界引退を表明した。2011年6月、鳩山邦夫を中心に結成された「きさらぎ会」に参加し、同会幹事長を務める。 2012年の第46回衆議院議員総選挙では、広島3区で民主党前職の橋本博明を比例復活すら許さない大差で破り、5選。選挙後の第182回国会において、衆議院外務委員長に起用された。2014年の第47回衆議院議員総選挙では、民主党元職の橋本に前回よりも票差を縮められたものの、橋本に比例復活を許さず、6選。2015年、第3次安倍改造内閣で内閣総理大臣補佐官(ふるさとづくり推進及び文化外交担当)に任命された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「河井克行」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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