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河内文春・尾乃道子(かわちふみはる・あのみちこ)は、戦前・戦後1980年代に活躍した夫婦音曲(河内音頭取り系)漫才コンビ。当初は「河内家美代次・文春」というコンビ名だった。 == 来歴・芸風 == *河内文春は岡山県の生まれ、8歳で音頭取り兼業の万歳初代河内家(荒川)芳春(1887年 - 1923年)に入門し徳島県清光座で兄弟子の河内家一春とのコンビで河内家文春の名で初舞台。以降尾乃道子とコンビを組むまで何度も相方を変える。 *尾乃道子は広島県尾道の生まれ、22歳で初代河内家芳春の弟子の二代目河内家芳春に入門し、1932年に山口県麻里市で河内家美代次の名で初舞台。巨漢の持ち主であった。 *のちに結婚しコンビを結成。戦前から吉本興業の端席に出演、戦時中末期にはわらわし隊の一員として中国戦線へ慰問を行う。 *1939年に「河内文春・尾乃道子」に改名。 *戦後は戎橋松竹に出演したこともあったが、長らくセミリタイア状態、1970年代後半から1980年代前半までは大須演芸場に出演していた。 *舞台はほとんどが河内文春の独り舞台で、後半尾乃道子が椅子に腰掛けて三味線を弾いた。 *ともに没年未詳 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「河内文春・尾乃道子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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