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河内 桃子(こうち ももこ、本名:久松 桃子、旧姓:大河内、1932年3月7日 - 1998年11月5日)は、日本の女優。日本女子大学附属高等学校卒業。東京府東京市(現在の東京都台東区谷中)出身。血液型はO型。俳優座所属。女優としては久我美子と並ぶ名家出身で、祖父は理研グループ総帥で子爵であった大河内正敏、父は正敏の次男で画家であった大河内信敬。夫は今治松平家末裔でテレビプロデューサーの久松定隆。 ==来歴・人物== 高校卒業後、OLをしていたが、1953年、東宝ニューフェイス(6期生)として東宝に入社。同期には宝田明、佐原健二、藤木悠と日活に移籍した岡田眞澄がいる。入社した年の『女心はひと筋に』で初出演を果たす。その後、出演5作目の『ゴジラ』のヒロイン・山根恵美子役に抜擢される。このため世間では「特撮俳優」のイメージが強いが、東宝在籍時の特撮映画には『ゴジラ』、『獣人雪男』、『地球防衛軍』の3作にしか出演していない(その後の1980年代のゴジラリバイバルブームで他3作ほど出演してはいる。1995年には、平成ゴジラシリーズ最終作『ゴジラvsデストロイア』で41年ぶりに山根恵美子を演じた)。1957年には年間10作の映画に出演するなど、東宝を退社する1958年頃までは河内の映画出演作が数多く存在する。 演技の勉強をやり直すため、1958年に東宝を退社し、俳優座(8期生。山崎努、水野久美が同期)に入団。その後の映画出演は減少し、舞台とテレビドラマへと活動の軸足を移す。 TBSホームドラマに多く出演し、石井ふく子プロデュース作品や橋田壽賀子脚本作品の常連として活躍。特に晩年の代表作である『渡る世間は鬼ばかり』では高橋亨(三田村邦彦)の母親・年子役を演じ、連続ドラマのレギュラー出演作としての遺作で最後の登場となった第3シリーズでは、アルツハイマー病に蝕まれていく苦しい役柄が反響を受けるなど、演技力への評価は高いものがあった。 また、『土曜ワイド劇場』などの2時間単発ドラマにも出演するなど芸域も幅広かった。亡くなる前年の1997年7月19日、映画最後の出演作「良寛」が公開された。その2日後の7月21日、TBS放送の月曜ドラマスペシャル「演歌・唱太郎の人情事件日誌3・伊香保殺人事件」への出演がドラマ作品の遺作となった。 その後、同年の冬にかけて、俳優座の地方公演「ゆの暖簾」で東北地方を中心に巡業したが、その巡業中に体調不良を訴え、年が明けた1998年1月に大腸癌と診断された。癌の進行が早く、発見時には手術の施しようがなかったという。前年12月15日に山形県鶴岡市で出演した舞台が河内にとって最後の仕事となった。 亡くなる前年の末まで俳優座の舞台にも立ち続けたが、1998年11月5日の午前9時45分、大腸癌のため入院先の東京都渋谷区広尾の日本赤十字社医療センター病院で死去。。亡くなる直前の10月29日、病床でレデンプトール会の近藤雅広神父(当時・心のともしび運動専務役員、現・宮津ブロック共同宣教司牧モデラトール)より洗礼を受け、「マリア」の洗礼名を与えられた。墓所は東京都台東区谷中の谷中霊園。 カトリック善き牧者の会制作のカトリック布教番組『心のともしび』『太陽のほほえみ』の朗読を永年務め、その功績によりヨハネ・パウロ2世から聖十字架章を親授された他、1996年にはバチカン市国勲章も授与されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「河内桃子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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