翻訳と辞書
Words near each other
・ 河内真
・ 河内磐船駅
・ 河内磯長原陵
・ 河内礼蔵
・ 河内神社
・ 河内神社 (広島市)
・ 河内祥輔
・ 河内紀
・ 河内紘一
・ 河内素敵人
河内経国
・ 河内美雪
・ 河内職
・ 河内良弘
・ 河内花園駅
・ 河内芳野村
・ 河内荘
・ 河内荘 (美作国)
・ 河内藤園
・ 河内街道


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

河内経国 : ミニ英和和英辞書
河内経国[かわち つねくに]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
河内 : [はのい, かわち]
 【名詞】 1. Hanoi 
: [うち]
 【名詞】 1. inside 
: [けい, たていと]
 (n) (weaving) warp
経国 : [けいこく]
 【名詞】 1. government 2. administration
: [くに]
 【名詞】 1. country 

河内経国 : ウィキペディア日本語版
河内経国[かわち つねくに]

河内 経国(かわち つねくに)は平安時代後期から末期の武将河内源氏第4代の源義忠嫡男
父方の祖父は河内源氏第3代の源義家、母方の祖父は伊勢平氏棟梁の平正盛という両氏の血を引く。父が河内(『河源記』では、領地の地名、『稻澤氏家譜系図』では河内権守)であったことに由来して、河内源太と称した。
== 生涯 ==

=== 誕生 ===
河内国石川郡壷井(現在の大阪府羽曳野市壷井)の香呂峰の館で、義忠の嫡男として康和5年(1103年)以前に誕生したものと思われる。鳥羽天皇の内舎人となったことから逆算すると、保安4年(1123年)以前に21歳以上となったと考えられるためである。また、康和3年(1101年)生まれとする史料(『河源記』、『稻澤氏家譜系図』)もある。
祖父・源義家より源太の幼名を与えられ、世に「河内御曹司」と称され、5代目棟梁として嘱望された。ところが幼少期の天仁2年(1109年)2月3日に父が平成幹暗殺されると、父の養子であった義兄(『殿暦』、『河源記』、『稻澤氏家譜系図』、『永享記』では叔父)の源為義が犯人とされた大叔父の源義綱を追討して家督を継ぎ(真犯人は義綱の弟源義光)、源太ら兄弟は為義に邸を追われ母方の叔父・平忠盛の邸(『河源記』では藤原経実の邸)で育った。矮躯ながら武技に優れ、内舎人となった。
父方の叔父である源義国が上洛し、京都で活動を始めると邸に引き取られ、後に義国を烏帽子親として元服した。「経」は藤原経実、「国」は義国よりの偏諱とされる〔『河源記』によると、亡父義忠と親しかった藤原経実が預かり養育し、元服の際に「経」の一字と源氏の通字である「義」を合わせて「経義」と名乗り、経実の家人として供奉し、警護の役を務めたとされる。また、『稻澤氏家譜系図』では、初名は「経家」とされて、経実の猶子と記されている。〕。その後藤原経実の家人となり、その息女(生母不詳)を正室とし、経実の信任厚く武技を認められ、その警護を務めた。後年、義国の家司となり、下野国足利へ移住した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「河内経国」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.