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河北 通(かわきた とおる、1972年10月10日 - )は日本中央競馬会 (JRA) ・栗東トレーニングセンターに所属する調教助手で、元騎手。騎手免許は平地競走、障害競走両方の免許を所持していたが、障害競走への騎乗経験はなかった。 == 来歴 == 1991年、JRA競馬学校騎手課程を卒業し騎手免許を取得する。同期の騎手には郷原洋司、四位洋文、藤田伸二らがいる。デビュー時から小野幸治厩舎所属である。3月2日、初騎乗となった中京競馬場での第4レースでは2番人気だったフォースシクレノンに騎乗するも10着という結果に終わった。5月5日に行われた京都競馬場での第12レースで騎乗した4番人気のスリーリリックで勝利し初勝利を挙げる。 1992年、中京記念で13番人気のブライアンカーチスで重賞初騎乗、10着となる。 1993年、10月18日に地方競馬初騎乗。同年のスプリンターズステークスで12番人気のロングキャロットでGI初騎乗、13着となる。 1994年、アーリントンカップを4番人気だったメルシーステージで制し重賞初勝利を挙げる。 1996年、3月16日にJRA通算100勝を達成する。 2003年、9月24日に地方競馬での初勝利を挙げる。 2007年、7月22日にJRA通算200勝を達成する。 2008年にはかねてより脱臼癖がついていた(本人曰く「くしゃみをしただけでも肩が外れるほど」だったという)左肩の手術のため、10月4日の札幌競馬場での騎乗を最後に長期療養に入った。手術は「骨を削って別の個所に埋め込みピンで固定する」「医者が5人ぐらい立会いでやった」ほどの大掛かりなものとなった〔東京スポーツ 2009年2月7日付 14面〕。その後リハビリを経て、翌2009年1月24日の中京競馬場での騎乗を皮切りにレースでの騎乗を再開している。しかし、同年12月20日をもって騎手を引退し、所属していた小野幸治厩舎の調教助手に転身した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「河北通」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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