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少女歌劇(しょうじょかげき)は、少女もしくは若い女性たちによって演じられるレビューやミュージカル、オペレッタやお伽歌劇などの音楽・芝居・ダンスを中心とした日本独特の舞台芸能。これらを行う団体はしばしば少女歌劇団と呼ばれ、後に宝塚歌劇団・OSK日本歌劇団(旧:大阪松竹歌劇団)・松竹歌劇団(愛称:SKD)となった3団体が三大少女歌劇として特に有名だった。 また、1990年代以降、「少女歌劇」の名称を用いた女性(少女)タレントグループによる活動についても、併せて解説する。 ==名称について== 宝塚少女歌劇団が1914年(大正3年)の第1回公演で「少女歌劇」という名称を用いたのが最初で、当時の新聞には「日本で初めての少女歌劇」〔1914年3月19日大阪毎日新聞掲載、箕面電鉄 婚礼博覧会余興の広告〕と銘打った広告が出ている。これより先の白木屋少女音楽隊も含め、少女歌劇が誕生した当時(明治末〜昭和初期)は、尋常小学校卒業程度の10代の少女たちを中心に構成されており、そのためこれらの団体名は「少女」を冠したものだった。しかし、その後の発展と劇団員の年齢層の変化に加え、「少女歌劇」が幼稚なお伽レビューしか上演しないという印象を与えるため〔1952年11月21日 読売新聞「“少女歌劇”の生態」〕、三大歌劇団はいずれも1940年代に「少女」の文字を団名から外した。 しかしその後も、歴史的経緯から、"女性のみによるレビュー"を表現する語として、継続して用いられている〔〔1975年7月9日 朝日新聞「少女歌劇『ベルサイユのばら』の原作者 池田理代子さん」〕〔1988年12月26日 日本経済新聞「(エコー)OSK日本歌劇団幹部長谷川恵子氏――やっと自前の練習場」〕〔1989年6月27日 朝日新聞「さまよえる花嫁学校 レビューの終わり SKD休団」〕〔1989年7月7日 日本経済新聞「(マイドリーム)日本歌劇団社長藤井賢三氏」〕〔2008年6月26日 朝日新聞「(勝手に関西世界遺産)OSK けなげな乙女は今日も歌う」〕。また、誕生当初は劇団員の年齢層を反映した「少女歌劇」の名称の意味合いも、少女ファンの増大・白井鐵造によるロマンチックなレビューが"少女性"と一致したことから、1935年(昭和10年)ごろに「少女による歌劇」から「少女のための歌劇」に変化したとの見解もある〔津金澤聰廣・近藤久美編『近代日本の音楽文化とタカラヅカ』世界思想社、第4章〕。 その他に、 *宝塚歌劇(宝塚歌劇団のみ) *歌劇(主にOSK日本歌劇団) がそれぞれ用いられるが、1990年代以降 *女性歌劇/女性歌劇団 という言葉が、報道においてOSKを紹介する場合を中心に用いられている〔1994年12月15日 朝日新聞「春日大社がOSK日本歌劇団員に和舞の指導」〕〔1998年3月11日 朝日新聞「OSK正念場 親会社の近鉄、経営自立迫る」〕〔2007年6月30日放送 一期一会 キミにききたい!「女子が苦手な女の子の話@大阪・女性歌劇団の現場 」〕〔2010年8月4日放送 ニューステラス関西「華僑劇団員上海万博で公演」〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「少女歌劇」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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