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河村建夫 : ミニ英和和英辞書
河村建夫[かわむら たけお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [おっと]
 【名詞】 1. (hum) (my) husband 

河村建夫 : ウィキペディア日本語版
河村建夫[かわむら たけお]

河村 建夫(かわむら たけお、1942年昭和17年〉11月10日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(9期)、衆議院議院運営委員長
山口県議会議員(4期)、自民党選挙対策委員長(第2代)、文部科学大臣(第34代)、内閣官房長官第76代)、拉致問題担当大臣、衆議院予算委員長等を歴任。
父は、元山口県議会議員の河村定一。母は、萩女子短期大学名誉学長の河村とし子。実弟の田中文夫は、山口県議会議員。
== 来歴・人物 ==
山口県阿武郡三見村(現萩市)生まれ。山口県立萩高等学校を経て、慶應義塾大学商学部を卒業後、1967年(昭和42年)、西部石油に入社。
1976年(昭和51年)、父・河村定一の死去に伴う山口県議会議員補欠選挙(萩市選挙区)に自由民主党公認で出馬し、初当選を果たした。以後当選4回。
1990年(平成2年)、引退する田中龍夫の後継で第39回衆議院議員総選挙旧山口1区(定数4)から自民党公認で出馬し、当選(当選同期に岡田克也佐田玄一郎亀井久興中谷元森英介福田康夫石原伸晃小林興起塩谷立古屋圭司細田博之松岡利勝小坂憲次山本拓赤城徳彦村田吉隆簗瀬進山本有二など)。以後9回連続当選。
1998年(平成10年)、所属していた三塚派内で森喜朗亀井静香の主導権争いが先鋭化。亀井の離脱に伴い河村、中川昭一平沼赳夫ら亀井グループが三塚派を退会し、伊吹文明佐藤静雄らが属す中曽根派と合体して志帥会を結成した。
2001年(平成13年)、第2次森改造内閣で初代文部科学副大臣に就任。第1次小泉内閣発足によりいったん退任するが、第1次小泉改造内閣で再度、文部科学副大臣に任命された。第1次小泉再改造内閣では文部科学大臣に昇格して初入閣し、第2次小泉内閣まで務める。
2006年(平成18年)、同じ伊吹派所属の中川昭一政務調査会長の下、政調会長代理に任命された。翌2007年(平成19年)、党広報本部長に就任。
2008年(平成20年)、麻生内閣内閣官房長官に任命され、2度目の入閣。2009年第45回衆議院議員総選挙では、内閣官房長官の要職にあり、また全国的に自民党に猛烈な逆風が吹き荒れたが、対立候補に比例復活すら許さず、早々に7選を決めた。総選挙後、衆議院懲罰委員長に就任。
2010年(平成22年)、自民党選挙対策局長に就任。2012年(平成24年)、自民党選挙対策局長が自民党選挙対策委員長に移行し、続投する形で就任。
2014年(平成26年)、二階派会長の二階俊博が自民党総務会長就任に伴い、同派会長を退任。会長職は空席となり、会長代行の河村が同派の事実上の代表となる。
2015年(平成27年)4月、衆議院予算委員長大島理森衆議院議長就任により、後任の予算委員長に就任。
2016年(平成28年)1月、衆議院議院運営委員長に就任。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「河村建夫」の詳細全文を読む




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