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河盛 好蔵(かわもり よしぞう、1902年10月4日 - 2000年3月27日)は、日本のフランス文学者・評論家。仏文学者としてはモラリストの著作を日本に紹介した。 == 来歴・人物 == 大阪府堺市出身。旧制大阪府立堺中学校を経て1920年に第三高等学校入学。京都帝国大学仏文科で河野与一に師事。1926年、京都帝国大学仏文科を卒業して関西大学に赴任し、フランス語を教える。 1928年学校騒動で関西大学を辞職して渡仏し、ソルボンヌ大学に学ぶ。1930年に帰国。堺の生家でジャン・コクトー『山師トマ』を翻訳。 上京後、ファーブル『昆虫記』を三好達治と共訳。1931年、杉捷夫の世話で立教大学教授に就任し、1943年までフランス語を教える。1943年、随筆『新釈女大学』がベストセラーとなる。 戦後は東京教育大学教授、共立女子大学教授を歴任し、主にモラリスト文学を研究。1962年に『フランス文壇史』で読売文学賞(研究・翻訳賞)、1978年に『パリの憂愁』で大佛次郎賞、1985年に菊池寛賞をそれぞれ受賞。1970年日本芸術院会員、1973年勲三等旭日中綬章受章、1986年文化功労者、1988年には文化勲章受章。1989年に脳梗塞で倒れるも、リハビリを続け、1998年には『藤村のパリ』で読売文学賞(随筆・紀行賞)受章。 1997年には『藤村のパリ』と『パリの憂愁―ボードレールとその時代』により、95歳で京都大学より博士(文学)の学位が授与された。また、同年に『藤村のパリ』で読売文学賞(随筆・紀行賞)を受賞。 長女・悳子は林房雄の長男・後藤昭彦と結婚した〔『人事興信録』、安藤武『三島由紀夫「日録」』216p〕。 多数の著作があり、主要著作は新潮社より『河盛好蔵私の随想選』(全7巻)が刊行された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「河盛好蔵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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