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十勝鉄道株式会社(とかちてつどう)は、日本甜菜製糖の子会社で、主にビートの取りまとめや、糖蜜の輸送などトラック輸送を主としている運送会社である〔“十勝鉄道廃路、私鉄の歴史に幕”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社). (2012年5月23日)〕。地元では十鉄(じってつ、じゅってつ)と呼ばれ、親しまれている。本社は北海道帯広市稲田町南9線西13番地にある。 かつては、帯広市や清水町で軽便鉄道を運営していた。軽便鉄道を全廃した後も一般の旅客や貨物を扱う鉄道ではないものの、2012年5月まで日本貨物鉄道(JR貨物)帯広貨物駅に接続する帯広市産業開発公社専用線および日本甜菜製糖専用線の運行管理を受託し、社章と社名を掲げたディーゼル機関車で専用線を運行していた(その専用線については「帯広貨物駅」を参照)〔。また、不動産業も行っていた。 遮断機がない踏切や鉄道側が一時停止をしなければならない踏切もあった〔“Shot 今も元気に「十勝鉄道」走る”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2003年8月16日)〕。 日鉱日石エネルギー帯広営業所の利用停止に伴い、日本甜菜製糖芽室製糖所の砂糖輸送のみでの存続は経費の面で困難として帯広貨物駅から日本甜菜製糖芽室製糖所の路線を廃止して鉄道としての歴史に終止符を打った〔。 近隣地域で鉄道を営業していた北海道拓殖バス(北海道拓殖鉄道)とは異なり、十勝バスとは何の関係も無い。 == 歴史 == 砂糖の原料であるビートを輸送するために1924年敷設された軽便鉄道が始まり。帯広市から南部の町村に至る100kmを超える路線を持つ北海道最大の鉄道網を有する私鉄であった〔高田敦史(2009年6月10日). “【パイオニアの軌跡】日本甜菜製糖90周年 上”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)〕。 また地域からの要望により混合列車が走るようになり、トテッポの愛称で地域の足として親しまれた〔。 1946年(昭和21年)に清水町に同様の理由で敷設されていた河西鉄道を合併したが〔、その後のトラックの普及により貨物輸送の意義が急速に失われ、1951年に旧河西鉄道線である清水部線を全廃、1959年に旅客営業を廃止し、工場前駅(日本甜菜製糖 帯広製糖所の前) - 帯広駅間をのぞいて廃止された。残りの区間も工場が閉鎖されたことから1977年に廃止された。 * 1923年(大正12年)4月7日:十勝鉄道株式会社が発足。 * 1924年(大正13年):旅客輸送を開始〔。 * 1946年(昭和21年)1月30日:河西鉄道株式会社を吸収合併。 * 1959年(昭和34年)11月15日:旅客営業廃止。 * 1970年(昭和45年)頃:帯広市産業開発公社専用線の運営を受託。 * 1972年(昭和47年)9月:特定貨物自動車運送事業を一般区域貨物自動車運送事業に変更する認可をうける。 * 1977年(昭和52年)3月1日:貨物営業廃止。専用線の運行管理受託をのぞいて鉄道事業から撤退。 * 1983年(昭和58年)3月:自動車運送取扱業の認可をうける。 * 2005年(平成17年)10月1日:不動産事業を日本甜菜製糖に譲渡し撤退 * 2012年(平成24年)6月1日:帯広市産業開発公社専用線の運行管理受託終了〔島田賢一郎 (2012年9月23日). “駅 人 話 西帯広駅”. 朝日新聞(朝日新聞社)〕。日甜芽室製糖所 - 帯広貨物駅間で最終列車を運行〔。 運営路線の詳細な改廃は以下の「帯広部線」・「清水部線」の節を参照。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「十勝鉄道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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