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河野円城寺(かわのえんじょうじ)は、岐阜県羽島郡笠松町にある真宗大谷派の寺院である。同派岐阜教区第三組に所属する。山号は葉栗山。円城寺、圓城寺、河野圓城寺ともいう。 河野九門徒の寺院の一つである。 == 沿革 == 寺伝によると飛鳥時代、聖徳太子により尾張国河野〔尾張国葉栗郡河沼郷河野島とされているが、詳細は不明。河野島は、現各務原市西南部(旧川島町・中屋村)、笠松町東部(旧下羽栗村)、岐南町東部(旧上羽栗村)、一宮市北部(旧浅井町)、江南市西部(旧宮田町)一帯と推測される。〕に創建されたという。当時は「清涼山 圓城寺」の名であり、法華宗であったが、後に天台宗に改宗し、末寺として「葉栗山 照高院」を創建している。 平安時代の頃、洪水で圓城寺と照高院は流出する。現在地に照高院として再建される。 嘉禎元年(1235年)、親鸞が東国より帰京する際三河国に立ち寄り、住民に教えを説いていたのを聞いていた、照高院の住職最勝は浄土真宗に改宗、寺号も西勝坊とする。 文明2年(1470年)、蓮如がこの地を訪れた際、かつて親鸞の説法を聞いて帰依した9人の門徒の子孫の寺院を「河野九門徒」と名づけたという。このころ西徳寺に改称したという。 天保2年(1831年)、「葉栗山 円城寺」に改称する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「河野円城寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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