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河野 千万城(かわの ちまき、1892年(明治25年)4月22日 - 1966年(昭和41年)1月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 == 経歴 == 山口県出身。河野祐九郎の息子として生まれる。1914年(大正3年)12月、海軍兵学校(42期)を卒業し、1915年(大正4年)12月、海軍少尉に任官。海軍水雷学校高等科で学ぶ。第一遣外艦隊参謀、「五十鈴」艤装員、同分隊長、第5戦隊司令部付兼参謀などを歴任し、1926年(大正15年)11月、海軍大学校(甲種24期)を卒業。 1926年12月、海軍少佐に昇進し「伊勢」通信長に就任。1928年(昭和3年)2月、軍令部参謀となり、以後、第1艦隊参謀兼連合艦隊参謀を歴任。1931年(昭和6年)12月、海軍中佐に進級し、軍令部出仕兼海軍省出仕に就任。1932年(昭和7年)3月、軍令部出仕となり欧米各国に出張。同年11月、軍務局局員に転じ、「足柄」副長、軍令部出仕を歴任。1935年(昭和10年)11月、海軍大佐に昇進し軍令部第2部第4課長に就任した。 1937年(昭和12年)11月、大本営海軍参謀を兼務。同年12月、「那珂」艦長に転じ、以後、連合艦隊参謀兼第1艦隊参謀、連合艦隊司令部付兼第1艦隊司令部付、「愛宕」「扶桑」の各艦長、第6潜水戦隊司令官を歴任。1941年(昭和16年)10月、海軍少将に進級し太平洋戦争に出征。マレー作戦、フィリピンの戦いなどに参戦した。 1942年(昭和17年)4月、横須賀鎮守府出仕となり、同月、第3潜水戦隊司令官に就任。以後、軍令部出仕、軍令部第4部長兼大本営海軍通信部長、横須賀通信学校長、兼久里浜第2警備隊司令官などを歴任。1945年(昭和20年)5月、海軍中将に進み、海軍対潜学校長を兼務した。同年7月、軍令部出仕となり、同月、艦政本部造船造兵監督長、兼海軍省出仕、兼関東監理長、兼関東監査長に就任。終戦時は関東信越軍需監督部長であった。1945年10月、予備役に編入された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「河野千万城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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